インターネット・バブルとその崩壊(2000年) 当時のNASDAQチャート

インターネット・バブルおよびバブル崩壊時を含むNASDAQチャートを取得しました。

NASDAQ総合指数

NASDAQはアメリカ合衆国にある世界最大の新興企業(ベンチャー)向け株式市場です。そこに上場する企業の、時価総額加重平均で算出した指数がNASDAQ総合指数です。

NASDAQと上場銘柄の歴史については、下記のサイトが詳しいです。

NASDAQ(baseviews.com)

取得したチャート

出典:NASDAQ Composite (^IXIC) Yahoo!Finance

インターネット・バブルとNASDAQ

インターネット・バブルの最盛期である2000年3月10日、NASDAQ総合指数は5,132.52ポイントをつけました。その後バブルの崩壊と共に指数は下がり続け、2002年10月10日に1,108.49ポイントをつけるまで下落しました。78%以上の下落に相当します。

かなりの規模の下落ですね。多くの投資家が、インターネット・バブルの崩壊に巻き込まれて大火傷を負ったことでしょう。

NASDAQの中身の今昔

2000年当時とはNASDAQ銘柄の様子が変わっています。バブルチャートでその様子が分かるサイトを紹介します。

2000年当時


※画像の出典は上記サイトから

2000年当時、NASDAQ銘柄の大多数はソフトウェア、インターネット、技術、通信銘柄でした。(バブルチャートは全体的に紫色です。)

2015年


※画像の出典は上記サイトから

2015年になって来ますと、NASDAQ銘柄の業種のバリエーションが豊かです。(バブルチャートの色が多彩です。)

このように最近のNASDAQ構成銘柄は、2000年のインターネット・バブル時代と比べて毛並みが変化しています。そのため簡単には比べる事は出来ません。

ブラックマンデー(1987年)前後のダウ平均株価チャート

1987年10月19日(月)に、米国ニューヨーク株式市場に起こった過去最大規模の暴落ブラックマンデー(Black Monday)と呼びます。

当時のダウ平均株価チャートを作成しました。

ブラックマンデー前後のダウ平均株価チャート

ブラックマンデーは明確なネガティブサプライズなしに、売りが売りを呼んだ事で、株価が暴落しました。



チャート作成の元データは株価データ倉庫から取得しました。

前日比-22.6%の大暴落

1987年10月19日(月)のダウ平均株価は、前の営業日比で507.99ドル安(-22.6%)という下げ幅を記録する大暴落となりました。翌20日には安値1,616.21ドルをつけており、ブラックマンデー前10月16日の終値と比べて-28.1%の水準です。短い時間に大きく売られた事が分かります。

米国の株価大暴落は世界へ波及

ニューヨーク株式市場の暴落は、世界各国の株式市場へと波及しました。

日本の株式市場は1987年10月20日(火)に暴落しました。この日の日経平均株価の始値は、高値と等しく25,745円です。終値は安値と等しく21,910円です。チャートは陰の丸坊主を形成し、場中に3,835円を下げる大暴落となりました。前日比では3,837円安(-14.9% )の暴落でした。

ITバブルのフィナーレ暴落(2000年) 当時の日経平均株価チャート

インターネット関連企業が注目され、株価が高騰したITバブルインターネットバブル)は、2000年に崩壊を始めました。特に2000年4月17日の日経平均株価は前日比6.98%安の暴落となり、この日の暴落は「ITバブルのフィナーレ暴落」と呼ばれています。

その当時の日経平均株価チャートを作成しました。

2000年4月17日前後の日経平均株価チャート

2000年4月17日は、ITバブルのフィナーレと言える暴落です。下図は、4月17日前後の日経平均株価チャートです。

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チャート作成の元データは株価データ倉庫から取得しました。

暴落の3営業日前がITバブル最高値

フィナーレ暴落の3営業日前が日経平均株価のピークでした。

2000年4月12日に日経平均株価は終値(かつ高値)20,833.21円をつけました。この20,833.21円という値は、ITバブルでの日経平均株価の最高値となりました。

NYダウの急落を受け、売りが売りを呼び暴落

フィナーレ暴落前日のNYダウの急落(617.78ドル安)を受け、2000年4月17日の日経平均株価は寄り付きから崩れました。前日比で1,426.04円安(6.98%安)の暴落となりました。

上記チャートの通り、暴落前は順調な上昇局面でしたが、この日を境に株価は下落トレンドに入りました。

詳細は下記のリンク先が詳しいです。

相場急落の恐れがあるとき(平均株価研究会)

この暴落は、高値圏での売り仕掛けの成功と言える暴落でした。売りが売りを呼んだタイプの暴落と言えそうです。

日経平均構成銘柄の大幅変更の寄与

なお、日経平均株価の構成銘柄大幅変更(30銘柄入れ替え)が4月15日(土)に発表され、4月24日に実施されています。入れ替えを受け、指数から除外される銘柄に売りが集中した事は、日経平均株価下落要因と言えます。

日経平均株価チャート②(長期チャート

下図は前述のチャートよりも長期のチャートです。順調に上昇し、4月17日に突如暴落し、下落トレンドに入った様子がうかがえます。

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2000年をピークにインターネット・バブルは崩壊しました。その後も日経平均株価は下落を続け、半値以下の水準まで売り込まれました。そしてソニーショック翌営業日である2003年4月28日に、日経平均株価は1982年以来の最安値7603.76円をつけるに到りました。

余談:NASDAQ指数は更に大きく下落

ITバブル崩壊日経平均株価は大きく下げましたが、米国のNASDAQ総合指数は更に大きく下げました。

インターネット・バブルの最盛期である2000年3月10日、NASDAQ総合指数は5,132.52ポイントをつけました。その後バブルの崩壊と共に指数は下がり続け、2002年10月10日に1,108.49ポイントをつけるまで下落しました。78%以上の下落に相当します。

セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャート

2013年5月23日の株価大暴落は、セルインメイと呼ばれます。その前後の日経平均株価チャートを作成しました。

セルインメイ(2013年)とは?

概要

2013年5月23日に、明確な理由なく国内市場の株価が暴落しました。

当時アベノミクスの景気刺激策により株価は高値圏にありました。そこへ短期筋の国債先物と日経平均先物への同時売り仕掛けがありました。それを引き金に、アルゴリズムの暴走と個人投資家の狼狽売りが始まりました。

そして売りが売りを呼ぶ形で、株価は暴落しました。この出来事はセルインメイ(2013年)と呼ばれます。

別名

セルインメイは、あまりに明確な原因が無かったため、当時話題となっていたタレント矢口真里の不倫騒動に関連して、矢口ヤリーマンショックと呼ばれる事があります。

矢口ヤリーマンショックは、「株やってる人たちの流行語大賞2013」にノミネートされました。

日経平均株価チャート

下図は、セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャートです。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

セルインメイ前

セルインメイの前は、アベノミクスによる多くの景気刺激策が発表され、株価は一本調子に上昇していました。

セルインメイ当日

日経平均株価は、前日比プラス圏でリーマンショック後最高値の15,739.98円で順調に始まりました。

ところが途中から売り仕掛けが入り、パニック売りに発展し株価は暴落しました。結局この日、終値は14,483.98円となりました。これは前日比で1,143.28円安(-7.32%)の大暴落です。

セルインメイ後

セルインメイはそれまでの上昇トレンドを反転させました。株価はしばらく下落を続け、6月13日には11,805.78円をつけるに到りました。

関連・その他

本来のSell in May

近年では5月に起きた大暴落をセルインメイと呼ぶ事が増えました。ですが、本来「セルインメイ」は異なる意味の投資格言です。

元の格言は「Sell in May and Go Away But Remember to Come Back in September. (5月に売って相場から離れよ。けれど9月に戻ってくる事を忘れるな。)」です。

5月から9月にかけての株価は低迷しやすいというアノマリーのため、5月に売ると良いと言われているのです。

売りが売りを呼んだ暴落

明確な理由なく売りが売りを呼んだために暴落した相場は、セルインメイの他にブラックマンデーが有名です。

ブラックマンデー(1987年) 日経平均株価はどう暴落したか?その後どうなったか?

ブラックマンデー(1987年)に日経平均株価は歴史的な大暴落をしました。

前日の米国株の大暴落を受け、1987年10月20日の日経平均株価の終値は21,910円まで下げました。これは前日比で3,837円も安い水準です。比率にすれば-14.9% もの大暴落となりました。

ブラックマンデー

ブラックマンデーとは?

1987年10月19日(月)に、米国ニューヨーク株式市場に起こった過去最大規模の暴落ブラックマンデー(Black Monday)と呼びます。ダウ平均は前の営業日比で508ドル安、22.6%という下げ幅を記録する大暴落となりました。

この株安は世界各国に連鎖しました。日本では1987年10月20日(火)に、日経平均株価は前日比で3,837円安(-14.9% )となりました。なお、この世界同時株安にはブラックマンデーと名前がついていますが、日本での暴落火曜日に起こっています。

当時の日経平均株価チャート

下図はブラックマンデー前後の日経平均株価の推移です。

一番目立つ1987年10月20日(火)の大陰線がブラックマンデーの際の株価です。チャートはブラックマンデーの前後、1987年10月13日(5営業日前)から11月24日(25営業日後)の期間をプロットしています。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

ブラックマンデーでの日経平均株価大暴落

1987年10月20日の始値は、高値と等しく25,745円です。終値は安値と等しく21,910円です。場中に3,835円を下げる大暴落となりました。

チャートは髭を形成せず、陰の丸坊主となりました。

特大の暴落では大陰線

多くの場合、特大の暴落では日経平均株価チャートは窓を開けず、場中に下がり陰線になります。

これは買い注文があまりに少なく、最初に値が付かない銘柄があるためにそう見えます。ちなみに日経平均先物チャートは、始値から豪快に下がります。

ブラックマンデーはどうして起こったか?

明確な理由のない暴落

ブラックマンデーは、明確なネガティブ・サプライズなしに起こりました。この点において、他の多くの暴落相場とは異なります。

例えばリーマン・ショック2008年)の暴落は、政府に救済されると予想されていたリーマン・ブラザーズが、救済されない事に決まったために起こりました。また、Brexitショック(2016年)の暴落は、EUに残留されると予想されていた英国がEU離脱を決めたために起こりました。

このように、一般的に株価大暴落には理由がある事が多いです。その一方で、ブラックマンデーの暴落明確な理由が無い突然の暴落でした。

売りが売りを呼んだ

ブラックマンデーは、「売りが売りを呼ぶ」事で暴落しました。

パニックになった投資家が売り注文を出して株価が暴落したため、他の投資家がパニックになり投げ売りの注文を出す構造です。明確な理由なく暴落した例としては、近年ではセルインメイ(2013年)があります。

米国ではアルゴリズム売買も一因

株価大暴落の発端となった米国では、コンピューターによる売買アルゴリズムが、損失を限定するために手仕舞い売り注文を出し、これが連鎖したとも言われています。

なお日本の東証へのコンピューターの導入は1990年の11月であり、ブラックマンデーの後の出来事になります。

ダウ平均株価が22.6%下げたのに対して、日経平均株価の下落が14.9%に留まった理由の1つとして、東証の売買システムが未熟であったため、不器用なアルゴリズムによる売り注文が入る余地が無かった事が挙げられます。

立会場の歴史(東京証券取引所)

時代背景

1985年にプラザ合意が結ばれ、ドル高の抑制(ドル安への介入)が行われた結果、ドル安に歯止めがかからなくなりました。

これを受け、1987年にドル高に誘導するためのルーブル合意が結ばれましたが、9月に西ドイツはアメリカの反対を振り切って、ドイツマルクが上昇しているにもかかわらず金利を引き上げました。そのため政策協調の信頼性は損なわれ、ドル防衛のためにFRBは大幅に金利を引き上げるとのではないかと言われていました。

金利を引き上げれば通貨高となりますが、景気を冷やします。この不安が市場に台頭し、相場は不安定な状況になっていたようです。きっかけがあれば売りを仕掛ける素地はあったわけです。

ブラックマンデー(Hatena Keyword)

ブラックマンデー後に、日本の株価はどう推移したか?

その後の日経平均株価チャート

下図は1986年10月20日前後の日経平均株価チャートです。ブラックマンデーの前後、1987年7月14日(75営業日前)から1988年7月19日(200営業日後)までをプロットしています。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

再び株価上昇基調へ

ブラックマンデーの後、日経平均株価は再び上昇基調となりました。

そして1988年6月17日には、ブラックマンデーの終値比で29.6%も高い28,395円を付けています。

その後も日本株は好調を維持しました。

日本ではルーブル合意後、米国のドル安への配慮から利上げが遅れていました。そのため株価や不動産価格が暴騰しました。そして日経平均株価は史上最高値である38,957.44円(1989年12月29日)をつけるに到りました。この相場は平成バブル景気と呼ばれています。