平成バブル景気(1986年12月~1991年2月)前後の日経平均株価チャート


平成バブル景気(1986年12月~1991年2月)前後の日経平均株価チャートを作成しました。

平成バブル景気とは?

1986年12月から1991年2月にかけてのバブル景気を、平成バブル景気と呼びます。

平成バブル景気の発生と崩壊

平成バブル景気の始まる前、プラザ合意(1985年9月22日)によって円高が進行していました。円高は輸入品の値段を引き下げ、物価が安くなっていました。また円高は輸出産業の苦戦も招きました。この不況は円高不況と呼ばれています。円高不況の対応のために日本銀行は緩和政策を続け、利上げや景気引き締めが遅れました。

日本銀行の不必要な緩和政策が続けられた結果、そこで余ったお金が株と不動産に向かい、空前のバブル景気が起こりました。株や不動産の価値が高騰を続け、「必ず上がる」という神話が囁かれていました。

平成バブル景気日経平均株価史上最高値38,957.44円(1989年12月29日)をつけました。その後神話と株価は崩壊し、日本経済は長い低迷期に入りました。

景気循環と平成バブル景気

平成バブル景気の前後の景気循環を下表にまとめます。円高不況の対応のため、日銀が緩和政策を継続した事が平成バブル景気を招き、そしてこのバブルの崩壊は第一次平成不況を招きました。

時期 名前 景気循環 備考
1985年7月~1986年11月 円高不況 第10循環(後退期) プラザ合意をきっかけとした円高による不況
1986年12月~1991年2月 平成バブル景気 第11循環(拡張期) 空前のバブル景気
1991年3月~1993年10月 第一次平成不況 第11循環(後退期) バブル崩壊後の失われた30年の始まり
景気基準日付(内閣府)

平成バブル景気前後の日経平均株価チャート

平成バブル景気前後の日経平均株価チャートを以下に示します。チャートは日足で終値ベースです。株価データ倉庫から元データを取得し、加工した上で投稿しました。

日経平均株価2万円→2万5000円

平成バブル景気の始まりとされる1986年12月1日、日経平均株価は18,339円で始まりました。その後、日経平均株価の終値は1987年1月30日に初めて20,000円を突破した20,048円をつけました。1987年6月3日には25,000円を突破した終値25,049円をつけました。

日経平均株価は2万円から2万5000円になるまで、わずか4カ月と数日の短時間であったわけです。

ブラックマンデー暴落と3万円到達

この株価高騰の後、ブラックマンデーによる一時的な暴落(1987年10月20日)がありました。にもかかわらず、その後再び上昇基調となり、1988年12月7日には30,000円を突破した終値30,051円をつけました。

3万円5千円到達と史上最高値

日経平均株価は1989年8月16に35,000円を超え、終値35,084円を付けました。その後1989年12月29日に史上最高値38,957.44円をつけるに至りました。

日経平均株価は20,000円を突破した1987年1月30日から、3年も経たない内にほぼ2倍にまで高騰した事になります。このように、短期間かつ勢いのある株価高騰はバブル景気の特徴です。

日経平均株価の13連騰チャート(1988年)


1988年2月10日から2月27日にかけて、日経平均株価は13連騰しました。当時のチャートとその後の様子を投稿します。

連騰チャート(1988年)

下図は連騰の様子を示した日経平均株価の日足チャートです。

前日比110円高(+0.46%)の23,772円で引けた2月10日から日経平均株価の連騰は始まりました。連騰は、25,285円で引けた2月28日まで続きました。翌2月29日は25,243円と前日比マイナスとなり、連騰の記録は13連続でストップしました。

連騰の後

13連騰の後も平成バブル景気により、日経平均株価は長期的な上昇トレンドとなりました。下図は連騰の後の様子を示したチャートです。

1988年2月の13連騰の後も日経平均株価は上昇を続け、8月4日には28,476円をつけました。その後しばらくもみ合いますが、平成バブル景気による株価上昇圧力は止まらず、1989年12月29日に日経平均株価は史上最高値である38,957.44円をつけるに至りました。

東京オリンピック(1964年)前後の日経平均株価チャート


東京オリンピック(1964年)前後の日経平均株価チャートを作成しました。このチャートを元に、当時の経済動向についてまとめます。オリンピック景気で日経平均株価は、オリンピック開催の1年半前の1963年4月5日に、高値1,634.37円をつけましたが、その後、株価は下落し、証券不況が訪れました。

東京オリンピック(1964年)

1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、第18回オリンピック競技大会にあたり、1964年10月10日(土)から24日(土)までの15日間にわたり開催されました。

東京オリンピック1964(日本オリンピック委員会)

Wikipediaにも東京オリンピックについての詳しい記述があります。

日本及びアジア地域で初めて開催されたオリンピックで、また有色人種国家における史上初のオリンピックでもある。 歴史的には、第二次世界大戦で敗戦し急速な復活を遂げた日本が、再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持つ。 過去最高の出場国数。

東京オリンピック(Wikipedia)

オリンピック前後の日経平均株価

下図は1964年東京オリンピック前後の日経平均株価チャートです。


値は株価データ倉庫から取得し、チャートに加工した上で投稿しています。

岩戸景気による高値

チャートの表示期間における高値は、1961年7月18日につけた1,829.74円です。オリンピックの3年前の時期に相当します。

岩戸景気(1958年7月~1961年12月)により株価が上昇していましたが、この日を境に景気調整を警戒した売りが入り、株価は下落しました。岩戸景気の後、昭和37年不況と呼ばれる短期間(10カ月)の不景気が訪れました。

オリンピック景気と株価の高値

1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)10月までがオリンピック景気の期間に相当し、内閣府の景気基準日付では第5循環の拡大期にあたります。

景気基準日付(内閣府)

オリンピック景気による高値としては、1963年4月5日に1,634.37円をつけました。株価が高値をつけたのは、オリンピック開催の1年半前の時期にあたる事になりました。その後は株価は下落を続けました。オリンピック景気は1964年10月まで続いたのですが、オリンピック景気の中で株価が下落を始めた事は注目に値します。株価は景気に先行して動きますので、オリンピック後を見越して早めに売り注文が入り、オリンピックの実施前に株価は下落を始めていたわけです。

オリンピック後の証券不況

オリンピックの後、証券不況と呼ばれる景気後退局面が訪れました。日経平均株価は下落を続け、1965年7月12日には1,020.49円をつけました。

証券不況ついての記述も、Wikipediaに詳しいものがあります。

高度経済成長期の只中、東京オリンピックや新幹線の整備などによる総需要の増加(オリンピック景気)で、日本経済は高い経済成長を達成していた。経済成長は同時に証券市場の成長も促し、投資信託の残高は1961年に4年前の約10倍となる1兆円を突破した。この勢いは、当時、「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というフレーズが流行るほどだった。

しかし、1964年に東京オリンピックが終了し、金融引き締めも重なると、企業業績の悪化が顕在化した。1964年にサンウェーブと日本特殊鋼(現大同特殊鋼)が、1965年には山陽特殊製鋼が負債総額500億円で倒産した(山陽特殊製鋼倒産事件)。

証券不況(Wikipedia)