米国の政府閉鎖(2013年)前後の米ドル/円為替チャート


2013年10月に一部の米国政府機関が閉鎖された際の米ドル/円為替チャートを投稿します。

米国の政府閉鎖(2013年)

予算が成立しなかったため、2013年10月1日から10月16日にかけて、一部の政府機関が閉鎖されました。

2013年9月、医療保険改革法(いわゆるオバマケア)を巡って、下院で多数を占める共和党は支出増大を招くとして反対しているのに対し、上院で多数の民主党は内政の最重要課題であり変更には応じられないとして対立して予算が成立しなかったため、10月1日から一部政府機関の閉鎖となる事態が発生。2013年10月16日に上下両院で政府機関の再開を可能にする来年1月15日までの暫定予算が可決され10月17日より一部で閉鎖されていた政府機関が再開された。

出典:政府閉鎖(wikipedia)

政府閉鎖前後の米ドル/円為替チャート

米国で政治的混乱が起これば、有事の円買いが誘発される傾向にあります。政府機関の閉鎖の際もこの例外ではなく、閉鎖前の9月20日から10月8日にかけて、ほぼ一貫してドル安・円高が進行しました。最もドル安・円高が進行したのは10月8日で1ドル96.571円をつける局面もありました。

ただし、その後ドルは買い戻されました。政府閉鎖の最終日となった10月16日は98.751円で終えました。

プラザ合意(1985年)後のドル/円為替チャート 円高はどう進んだか?


1985年のプラザ合意後に、円高・ドル安が進行し、わずか2年半の間に円の価値は2倍になりました。当時の為替チャートを作成しましたので投稿します。

プラザ合意とは?

プラザ合意(プラザごうい、英: Plaza Accord)は為替レート安定化に関するG5(日米英仏独)の合意です。円高・ドル安を誘導する内容で、1985年9月22日に発表されました。

プラザ合意(Wikipedia)

プラザ合意前後の為替

チャート

下図は、プラザ合意前後の為替チャートです。


横軸は西暦、縦軸は米ドル・円の為替レートです。1985年9月以降、崖崩れのように急激な円高が進行した様子が見て取れます。

元データは株価データ倉庫から取得しました。

ドル安・円高

プラザ合意の直前・直後

プラザ合意直後に、急激に円高・ドル安が進みました。

プラザ合意前の1985年9月20日は、240.09円でした。合意後は231.89円となり、8.2円(3.4%)の円高・ドル安が進みました。

その後の円高

ドル安・円高は、その後も止まりませんでした。

極端なドル安を止めるために、1987年2月22日にはルーブル合意が発表されましたが、効果はなく、更なる円高が進みました。

ルーブル合意(iFinance)

1987年12月31日には1ドル121.25円を付け、プラザ合意前の240.09円と比べ、円の価値は2倍になりました。わずか2年半の期間での急騰です。

円高が招いた不況と平成バブル景気

強力な円高は、円高不況と産業の空洞化を招きました。これを受けて日本銀行は金融緩和政策を続けました。そうはいうものの、強い円によって購買力が高まり、海外のモノ・サービスが流入したため、物価は上がりませんでした。

そのため日本銀行は金融緩和政策を継続しました。そこで余ったお金によって、株と不動産の価格は暴騰しました。これが平成バブルです。平成バブルの絶頂期である1989年12月29日に、日経平均株価は史上最高値38,957.44円を付けました。

米ドル/円 抵抗線により120円まで円安が進行する可能性低いか


1ドル118円あたりに抵抗線がありますので、これ以上の円安に進行する可能性は低いと考えます。もし120円近くまで円安に振れた場合、実需の円買いや指先介入(Twitter介入)が入り、円高に戻されると予想しています。


米ドル/円 みんなの外為 2017/1/25 1:02

ちなみに最初にトランプが為替にイチャモンつけてきたのは、1ドル112円〜113円程の水準でした。

メイ英首相のEU離脱演説とトランプ氏の口先介入により円高進む