BNPパリバ・ショック(2007年)前後のダウ平均株価チャート

パリバ・ショックとは?

2007年8月9日、BNPパリバ傘下のミューチュアル・ファンドが投資家からの解約を凍結すると発表しました。これにより、米住宅バブル崩壊で値崩れしつつあったサブプライムローン関連の証券化商品が危機的状況であると世界中に知れ渡りました。

そして信用不安が台頭し、市場は混乱状態になりました。この騒動はBNPパリバ・ショックと呼ばれています。

パリバ・ショックとダウ平均株価

サブプライムローン関連の証券化商品が危機的状況である事が分かり、世界中でリスクオフの動きが進みました。米国も例外ではなく、ダウ平均株価は大きく下落する事になりました。下図は当時のダウ平均株価チャートです。



元データは株価データ倉庫のリンクから取得し、チャートへと加工し投稿しています。

ミューチュアル・ファンドの解約が凍結される前日、2007年8月8日のダウ平均株価の終値は13,657.86ドルでした。そこから信用不安が台頭し、2007年8月16日には一時12,517.94ドルまで下落しました。凍結前と比べて1139.92ドル安(8.3%安)に相当します。

小康状態を経てリーマン・ショック

パリバ・ショックの後、市場は一時的に落ち着きを取り戻し小康状態となりました。2007年10月11日には、ダウ平均株価は一時14,198.09ドルをつけるまで上昇しました。ただしこの時、サブプライム問題の深刻性はまだ十分に認識されていませんでした。

その後はサブプライム問題が表面化し、2008年3月の米大手証券のベアー・スターンズの経営危機、2008年9月にリーマン・ブラザーズの破綻が引き起こされました。ダウ平均株価は下落を続け、2009年3月6日に6469.95ドルをつけるに至りました。つまり2007年BNPパリバ・ショック時のダウ平均株価は結局、リーマン・ショック後の2009年には半値以下の水準にまで下落したわけです。

フラッシュ・クラッシュ(2010年)前後のダウ平均株価チャート

2010年5月6日、わずか数分の間にダウ平均が1000ドル近く下落しました。この瞬間的大暴落はフラッシュ・クラッシュと呼ばれています。フラッシュ・クラッシュが起きた前後のダウ平均株価チャート(日足)を作成しましたので投稿します。

フラッシュ・クラッシュとは?

2時40分、ダウ平均株価は急落し始め、わずか数分の間に1000ドル近く下落、出来高は190億株に達した。当初、誤発注など様々な原因が指摘されたが、調査報告書では「複数の要因が重なったためであり未だ明らかではない」とされている。
NYSE(ニューヨーク証券取引所)およびナスダックの上場株の取引分散化がここ数年で急速に進んでおり、注文は最大50カ所に分散され、電子取引される。取引所の分散による大量注文、高速取引、アルゴリズム取引などの要因が組み合わさって起こった可能性が考えられている。

出典:フラッシュ・クラッシュとは(Hatena keyword)

ダウ平均株価チャート



元データを株価データ倉庫から取得し、チャートを作成、投稿しています。

フラッシュ・クラッシュの前日までの動き

上昇基調にあったダウ平均株価は4月12日以降にレンジ相場を形成し、11,100ドルを中心に±100ドル程度の比較的狭い範囲を動いていました。その後5月4日に下方へブレイクし、一時10,900ドルを割りました。フラッシュ・クラッシュの前日5月5日は、10,866.83ドルで引けました。

フラッシュ・クラッシュ当日

5月6日のダウ平均株価は、一時的に大暴落し、安値9,869.62ドルをつけました。これは前日比997ドル安(-9.17%)に相当します。売りが売りを呼び、パニック的な暴落となりました。ただしその後、相場は落ち着きを取り戻し急回復、終値は10,520.32ドルとなりました。

その後

その後のダウ平均株価は一時的に上昇局面に転じた日もありましたが、下落基調となりました。下落基調は2010年7月2日まで続き、この日ダウ平均株価は9,614.32ドルをつける局面もありました。

こうして振り返ってみればフラッシュ・クラッシュは、高値警戒感のある水準で発生した暴落であると言えます。

ハリケーン・カトリーナ(2005年)上陸前後のダウ平均株価チャート

2005年8月末に大型のハリケーン「カトリーナ」がアメリカ合衆国南東部を襲いました。ルイジアナ州ニューオーリンズの8割が水没する等の大きな被害が発生し、米国での死者は1,836名を数えました。

その際の株式市場への影響の確認のために、ハリケーン上陸前後のダウ平均株価チャートを作成しました。

ハリケーン・カトリーナ

時系列

ハリケーン・カトリーナは、2005年8月25日にフロリダ半島に上陸、8月29日にルイジアナ州に上陸しました。時系列の詳細はWikipediaに記載があります。

2005年8月23日、バハマ南東で熱帯低気圧が発生。小アンティル諸島方面から西進してきた10番目の熱帯低気圧の残骸と合体し、12番目の熱帯低気圧となる。
8月24日朝、11番目の熱帯性暴風となり、「カトリーナ」と名付けられる(日本流に言うと「台風11号」に相当する)。
8月25日、ハリケーンとなりフロリダ半島に上陸。その後、いったんメキシコ湾に抜ける。フロリダでの死者7名。
8月28日、ブッシュ大統領はルイジアナ州に非常事態宣言、ニューオーリンズ市は48万人の市民に避難命令を発令。
8月29日、ルイジアナ州に再上陸。その後、勢力を落としながら北上。当初、死者は少なくとも55名と報道。
8月30日、ミシシッピ州の東部を通過中に熱帯性暴風になる。ニューオーリンズの8割が水没したとの報道。

出典:ハリケーン・カトリーナ(Wikipedia)

被害の様子

カトリーナの被害の様子も、同じくWikipediaで確認できます。

画像出典:ハリケーン・カトリーナ(Wikipedia)

ダウ平均株価

下記はハリケーン・カトリーナ上陸前後のダウ平均株価チャートです。


ハリケーンは大きな人的被害・建物被害を出した他、原油生産への影響から原油価格の高騰を招きました。

ただしダウ平均株価への影響は限定的であったようです。ダウ平均株価は8月29日に10,349.37ドルをつけるまで下落したものの買い圧力は強く、チャートは下ヒゲを3度(8月29日,30日,31日)出した後に回復へと向かいました。

イラク戦争(2003年)開戦前後のダウ平均株価チャート

イラク戦争は、アメリカ合衆国が主体のイラクへの侵攻で、2003年3月20日に開戦しました。下図はその前後のダウ平均株価チャートです。


2000年のドットコムバブル(インターネットバブル)崩壊の影響で下落基調であったダウ平均株価は、イラク戦争開戦後に回復を始めました。なぜなら米国は世界で最も軍事産業が盛んですので、侵略戦争によって米国の経済活動が活発になったからです。迷惑な国ですね。

とは言え、米国の回復は世界にも波及しました。日本でも2003年4月28日(ソニーショックの翌営業日)を大底として日経平均株価は上昇局面に入りました。

その後、加熱した投資マネーは住宅価格を上昇させ、サブプライム危機の原因として知られる米不動産バブル(2006年中盤頃ピーク)を形成して行く事になりました。

ブラックマンデー(1987年)前後のダウ平均株価チャート

1987年10月19日(月)に、米国ニューヨーク株式市場に起こった過去最大規模の暴落ブラックマンデー(Black Monday)と呼びます。

当時のダウ平均株価チャートを作成しました。

ブラックマンデー前後のダウ平均株価チャート

ブラックマンデーは明確なネガティブサプライズなしに、売りが売りを呼んだ事で、株価が暴落しました。



チャート作成の元データは株価データ倉庫から取得しました。

前日比-22.6%の大暴落

1987年10月19日(月)のダウ平均株価は、前の営業日比で507.99ドル安(-22.6%)という下げ幅を記録する大暴落となりました。翌20日には安値1,616.21ドルをつけており、ブラックマンデー前10月16日の終値と比べて-28.1%の水準です。短い時間に大きく売られた事が分かります。

米国の株価大暴落は世界へ波及

ニューヨーク株式市場の暴落は、世界各国の株式市場へと波及しました。

日本の株式市場は1987年10月20日(火)に暴落しました。この日の日経平均株価の始値は、高値と等しく25,745円です。終値は安値と等しく21,910円です。チャートは陰の丸坊主を形成し、場中に3,835円を下げる大暴落となりました。前日比では3,837円安(-14.9% )の暴落でした。