ブラックマンデー(1987年)前後のダウ平均株価チャート


1987年10月19日(月)に、米国ニューヨーク株式市場に起こった過去最大規模の暴落ブラックマンデー(Black Monday)と呼びます。

当時のダウ平均株価チャートを作成しました。

ブラックマンデー前後のダウ平均株価チャート

ブラックマンデーは明確なネガティブサプライズなしに、売りが売りを呼んだ事で、株価が暴落しました。



チャート作成の元データは株価データ倉庫から取得しました。

前日比-22.6%の大暴落

1987年10月19日(月)のダウ平均株価は、前の営業日比で507.99ドル安(-22.6%)という下げ幅を記録する大暴落となりました。翌20日には安値1,616.21ドルをつけており、ブラックマンデー前10月16日の終値と比べて-28.1%の水準です。短い時間に大きく売られた事が分かります。

米国の株価大暴落は世界へ波及

ニューヨーク株式市場の暴落は、世界各国の株式市場へと波及しました。

日本の株式市場は1987年10月20日(火)に暴落しました。この日の日経平均株価の始値は、高値と等しく25,745円です。終値は安値と等しく21,910円です。チャートは陰の丸坊主を形成し、場中に3,835円を下げる大暴落となりました。前日比では3,837円安(-14.9% )の暴落でした。

その後

ブラックマンデーの後、ダウ平均株価は下げ止まり緩やかな上昇基調となりました。ただしブラックマンデーによるダウ平均株価の下落幅があまりに大きかったために、元の水準(ブラックマンデーの前日の終値2246.73ドル)に戻るのは1989年1月24日に終値2256.43ドルをつけるまで待たされることになりました。

フラッシュ・クラッシュ(2010年)前後のダウ平均株価チャート


2010年5月6日、わずか数分の間にダウ平均が1000ドル近く下落しました。この瞬間的大暴落はフラッシュ・クラッシュと呼ばれています。フラッシュ・クラッシュが起きた前後のダウ平均株価チャート(日足)を作成しましたので投稿します。

フラッシュ・クラッシュとは?

2時40分、ダウ平均株価は急落し始め、わずか数分の間に1000ドル近く下落、出来高は190億株に達した。当初、誤発注など様々な原因が指摘されたが、調査報告書では「複数の要因が重なったためであり未だ明らかではない」とされている。
NYSE(ニューヨーク証券取引所)およびナスダックの上場株の取引分散化がここ数年で急速に進んでおり、注文は最大50カ所に分散され、電子取引される。取引所の分散による大量注文、高速取引、アルゴリズム取引などの要因が組み合わさって起こった可能性が考えられている。

出典:フラッシュ・クラッシュとは(Hatena keyword)

ダウ平均株価チャート



元データを株価データ倉庫から取得し、チャートを作成、投稿しています。

フラッシュ・クラッシュの前日までの動き

上昇基調にあったダウ平均株価は4月12日以降にレンジ相場を形成し、11,100ドルを中心に±100ドル程度の比較的狭い範囲を動いていました。その後5月4日に下方へブレイクし、一時10,900ドルを割りました。フラッシュ・クラッシュの前日5月5日は、10,866.83ドルで引けました。

つまり、フラッシュ・クラッシュの前日には、買いが出尽くして上昇相場の終焉を示唆するチャートが形成されていました。

フラッシュ・クラッシュ当日

5月6日のダウ平均株価は、一時的に大暴落し、安値9,869.62ドルをつけました。これは前日比997ドル安(-9.17%)に相当します。売りが売りを呼び、パニック的な暴落となりました。ただしその後、相場は落ち着きを取り戻し急回復、終値は10,520.32ドルとなりました。

その後のダウ平均株価

その後のダウ平均株価は一時的に上昇局面に転じた日もありましたが、下落基調となりました。下落基調は2010年7月2日までのおよそ2カ月間続きました。この7月2日に、ダウ平均株価は9,614.32ドルをつける局面もありました。7月2日より後は、ダウ平均株価は上昇基調へと変化しました。


こうして振り返ってみればフラッシュ・クラッシュは、高値警戒感のある水準で発生した暴落であると言えます。

米国の政府閉鎖(2013年)前後のダウ平均株価チャート


2013年10月に一部の米国政府機関が閉鎖された際のダウ平均株価チャートを投稿します。

米国の政府閉鎖(2013年)

予算が成立しなかったため、2013年10月1日から10月16日にかけて、一部の政府機関が閉鎖されました。

2013年9月、医療保険改革法(いわゆるオバマケア)を巡って、下院で多数を占める共和党は支出増大を招くとして反対しているのに対し、上院で多数の民主党は内政の最重要課題であり変更には応じられないとして対立して予算が成立しなかったため、10月1日から一部政府機関の閉鎖となる事態が発生。2013年10月16日に上下両院で政府機関の再開を可能にする来年1月15日までの暫定予算が可決され10月17日より一部で閉鎖されていた政府機関が再開された。

出典:政府閉鎖(wikipedia)

政府閉鎖前後のダウ平均株価チャート

政府閉鎖が始まるより前に、ある程度の株価下落が始まっていました。9月19日から9月30日にかけて陽線は1本のみです。9月18日の終値15,676.94ドルから9月30日の終値15,129.67ドルまで、ダウ平均株価は-3.49%の下落をしていました。

政府閉鎖が始まった後も引き続き株価は下落し、10月9日に安値14,719.43ドルを付けました。ただし、その後は株価は回復に向かいました。そして政府閉鎖最終日の10月16日には終値15,373.83ドルを付けるなど、かなりの水準まで株価は回復しました。

Brexit(2016年)前後のダウ平均株価チャート


2016/6/23(木)に実施された英国の国民投票により、英国のEU離脱Brexit)が決まりました。

これにより欧州延いては世界の経済の混乱と停滞が予想され、世界各国の株価が下落しました。米国株も例外でなく、ダウ平均株価は前日比-3.39%の大幅安になりました。当時の様子とダウ平均株価チャートを投稿します。


6月13日(月)から6月17日(金)にかけては、選挙結果に関する懸念(Brexitによる世界経済の混乱の予想)から、ダウ平均株価は安値圏で推移しました。
6月20日(月)から6月23日(木)にかけては、ブックメーカー(賭け業者)の倍率からEU残留の確率が高いと予想され、ダウ平均株価は買い戻されていました。

そして6月24日(金)に、結局Brexitをする事が明らかになり、ダウ平均株価は前日比610.32ドル安(-3.39%)と大きく売られました。

ただしその翌週、ダウ平均株価は大きく買い戻され、7月1日(金)にはほぼ回復するに至りました。米国はBrexitの影響を最も受けなかった国の1つだと言えます。

米国は震源地の英国から比較的離れており、また日本のようにリスク回避的円買いによる輸出企業の業績悪化もありませんでしたので、Brexitによる影響が最小限に留まったと言われています。

なお、7月8日(金)には米雇用統計が発表されました。結果は良好でした。この日を境に米国株そして世界の株が上昇基調へと変わりました。

BNPパリバ・ショック(2007年)前後のダウ平均株価チャート


パリバ・ショックとは?

2007年8月9日、BNPパリバ傘下のミューチュアル・ファンドが投資家からの解約を凍結すると発表しました。これにより、米住宅バブル崩壊で値崩れしつつあったサブプライムローン関連の証券化商品が危機的状況であると世界中に知れ渡りました。

そして信用不安が台頭し、市場は混乱状態になりました。この騒動はBNPパリバ・ショックと呼ばれています。

パリバ・ショックとダウ平均株価

サブプライムローン関連の証券化商品が危機的状況である事が分かり、世界中でリスクオフの動きが進みました。米国も例外ではなく、ダウ平均株価は大きく下落する事になりました。下図は当時のダウ平均株価チャートです。



元データは株価データ倉庫のリンクから取得し、チャートへと加工し投稿しています。

ミューチュアル・ファンドの解約が凍結される前日、2007年8月8日のダウ平均株価の終値は13,657.86ドルでした。そこから信用不安が台頭し、2007年8月16日には一時12,517.94ドルまで下落しました。凍結前と比べて1139.92ドル安(8.3%安)に相当します。

小康状態を経てリーマン・ショック

パリバ・ショックの後、市場は一時的に落ち着きを取り戻し小康状態となりました。2007年10月11日には、ダウ平均株価は一時14,198.09ドルをつけるまで上昇しました。ただしこの時、サブプライム問題の深刻性はまだ十分に認識されていませんでした。

その後はサブプライム問題が表面化し、2008年3月の米大手証券のベアー・スターンズの経営危機、2008年9月にリーマン・ブラザーズの破綻が引き起こされました。ダウ平均株価は下落を続け、2009年3月6日に6469.95ドルをつけるに至りました。つまり2007年BNPパリバ・ショック時のダウ平均株価は結局、リーマン・ショック後の2009年には半値以下の水準にまで下落したわけです。