バブルであるかどうかの判別のためのジニ係数


資産価値の高騰がバブルであるかどうかは、古典的な投資教本には「バブルが崩壊して初めて分かる」と記載されています。その一方で、バブルかどうかを判断する指数を考え、バブルとその崩壊を予想する立場の人々もいます。特に、バブルの崩壊は「価格水準がピーク」のときに起きるのではなく、むしろ「価格の偏りがピーク」のときに起きるのではないか、という仮説があります。この仮説において、バブル判定の材料の1つがジニ係数です。ジニ係数は富の偏りを表すパラメータで、これが大きくなればバブルですので、いずれバブルは崩壊すると予想されます。

ジニ係数

最初にジニ係数についてまとめます。ジニ係数は富の偏りを表すパラメータです。ジニ係数を算出するためには、まずはローレンツ曲線を作ります。ローレンツ曲線は、「下位xパーセントの人の資産の合計が全資産のyパーセントにあたる」という点(x,y)を繋いだものです。

もしも資産が平等に配分されていれば、ローレンツ曲線は点(0,0)と点(100,100)を結ぶ直線になります。下図はwikipediaに掲載されているローレンツ曲線に関する図ですが、 Line of Equality と書かれた直線がそれです。実際には資産は偏り、上位の一部の人が持っている富が多いため、ローレンツ曲線は右側で急激に伸びる形になります。下図の Lorenz curve がローレンツ曲線です。

出典・詳細:ジニ係数(wikipedia)

ジニ係数は、上図のAの面積をAとBの各面積の合計で割ったものに等しくなります。Aの面積は不平等の程度を示していますので、ジニ係数が大きければ大きいほど不平等な状態を示します。平等であればジニ係数は0になり、1人の人が富を独占するような不平等であればジニ係数は1に近づきます。

平成バブル景気とジニ係数

平成バブル景気の際、不動産神話とともに特に東京圏の地価が上昇し、一部の地価が暴騰する事で大きな偏りが発生しました。下図の赤線が東京圏のジニ係数です。日経平均株価は1989年12月29日に史上最高値38,957.44円をつけた後に崩れましたが、東京圏の地価のジニ係数はそれよりも前の1988年にピークをつけ、不平等を警告していました。

人々は、(少なくとも日本の不動産購入者は)ジニ係数が0.7を超える偏った状態を許さなかったと分かります。ジニ係数は1988年にピークをつけた後に下落を始め、不動産バブルは崩壊しました。

極端な不平等は許されない?

古来より人は極端な不平等を嫌い、極端な富の集中は暴動によって破綻しています。日本でも打ち壊し等がありました。

打毀(うちこわし):江戸時代に,おもに都市においてみられた暴動。百姓一揆との違いは,第1に暴動の主体勢力が都市下層民であったこと,第2に原因が米価高騰にあったことである。打毀の対象となったのは,米屋,酒屋,質屋,問屋などの富裕商人たちで,彼らが意識的に米価の吊上げをはかったことから,その影響をいちばんこうむりやすい都市下層民たちにねらわれることとなった。

打毀(コトバンク)

地価バブルも不平等が人々の許容度を超えたのだと解釈できます。良い場所の土地を持っている人と、そうでない人との資産とが極端に乖離した結果として、高値で土地を買おうとする人(すなわちバブルのゲーム参加者)がいなくなり、地価バブルが崩壊、資産は均等に向かいました。

地価バブルの教訓

ジニ係数への注目は、バブルかどうかの判断材料になります。

チューリップであっても仮想通貨であっても、一部の人が大量保有で大金持ちになっている場合はバブルは終盤です。この時、新規参入者は資産の購入を諦めますので、バブルは崩壊へ向かうでしょう。

株式投資も同様です。もしも一部の株式保有者のみが富を独占している場合、そうでない人々は梯子を外してしまいます。彼らは株式投資家の富を奪いにかかります。直接奪うかも知れませんが、間接的に奪うかも知れません。彼らは手厚く平等な福祉政策を要求し、税制の変更によって間接的に資産家の富を奪います。歴史的には実際に英国では1970年代に、所得税の最高税率が83%、不労所得の最高税率が15%の付加税を加算して98%、という異常に高率な累進課税になってしまった事があります。

英国累進課税出典:英国病(wikipedia)

平成バブル景気(1986年12月~1991年2月)前後の日経平均株価チャート


平成バブル景気(1986年12月~1991年2月)前後の日経平均株価チャートを作成しました。

平成バブル景気とは?

1986年12月から1991年2月にかけてのバブル景気を、平成バブル景気と呼びます。

平成バブル景気の発生と崩壊

平成バブル景気の始まる前、プラザ合意(1985年9月22日)によって円高が進行していました。円高は輸入品の値段を引き下げ、物価が安くなっていました。また円高は輸出産業の苦戦も招きました。この不況は円高不況と呼ばれています。円高不況の対応のために日本銀行は緩和政策を続け、利上げや景気引き締めが遅れました。

日本銀行の不必要な緩和政策が続けられた結果、そこで余ったお金が株と不動産に向かい、空前のバブル景気が起こりました。株や不動産の価値が高騰を続け、「必ず上がる」という神話が囁かれていました。

平成バブル景気日経平均株価史上最高値38,957.44円(1989年12月29日)をつけました。その後神話と株価は崩壊し、日本経済は長い低迷期に入りました。

景気循環と平成バブル景気

平成バブル景気の前後の景気循環を下表にまとめます。円高不況の対応のため、日銀が緩和政策を継続した事が平成バブル景気を招き、そしてこのバブルの崩壊は第一次平成不況を招きました。

時期 名前 景気循環 備考
1985年7月~1986年11月 円高不況 第10循環(後退期) プラザ合意をきっかけとした円高による不況
1986年12月~1991年2月 平成バブル景気 第11循環(拡張期) 空前のバブル景気
1991年3月~1993年10月 第一次平成不況 第11循環(後退期) バブル崩壊後の失われた30年の始まり
景気基準日付(内閣府)

平成バブル景気前後の日経平均株価チャート

平成バブル景気前後の日経平均株価チャートを以下に示します。チャートは日足で終値ベースです。株価データ倉庫から元データを取得し、加工した上で投稿しました。

日経平均株価2万円→2万5000円

平成バブル景気の始まりとされる1986年12月1日、日経平均株価は18,339円で始まりました。その後、日経平均株価の終値は1987年1月30日に初めて20,000円を突破した20,048円をつけました。1987年6月3日には25,000円を突破した終値25,049円をつけました。

日経平均株価は2万円から2万5000円になるまで、わずか4カ月と数日の短時間であったわけです。

ブラックマンデー暴落と3万円到達

この株価高騰の後、ブラックマンデーによる一時的な暴落(1987年10月20日)がありました。ブラックマンデーでは日経平均株価は前日比で3,837円安(-14.9% )となり、歴史に残る暴落となりました。ところが株価はその後、再び上昇基調になりました。更に、ブラックマンデー前の水準を回復した後は、少々の下げでは押し目買いが入るようになりました。

そして株価の上昇基調は続き、1988年12月7日には30,000円を突破した終値30,051円をつけました。

3万円5千円到達と史上最高値

日経平均株価は1989年8月16に35,000円を超え、終値35,084円を付けました。その後1989年12月29日に史上最高値38,957.44円をつけるに至りました。

日経平均株価は20,000円を突破した1987年1月30日から、3年も経たない内にほぼ2倍にまで高騰した事になります。このように、短期間かつ勢いのある株価高騰はバブル景気の特徴です。

仮想通貨バブルの形成・崩壊とリーマン・ショック級の金融危機の再来


ビットコインを筆頭とした仮想通貨に投資マネーが流れ込んでいますが、この仮想通貨バブルの形成と崩壊はリーマン・ショック級の金融危機を招きかねないと考えられます。

リーマン・ショックと金融危機

仮想通貨バブルとの比較のために、まずはリーマン・ショック時の金融危機の様子をまとめます。

リーマン・ショックでは、ITバブルの崩壊後の低金利を背景とし米国の住宅バブルが形成されるとともに、投資マネーが怪しげなサブプライム・ローン証券に流入しました。その後、政策金利の上昇と共に住宅バブルは崩壊し、サブプライム・ローン証券は不良債権となりました。このようにして多くの有価証券が価値を失った結果、リーマン・ブラザーズの破綻を含む金融危機を招きました。当時の住宅ローンの規模は10兆6千億ドル程度でした。

米国の世帯が負った 4人家族向けまでの住宅購入用ローンの総額は、2006年末には 9兆9千億ドルであり、2008年半ばでは 10兆6千億ドルだった

サブプライム住宅ローン危機 Wikipedia

仮想通貨バブル

現在リーマン・ショック後の低金利を背景として、怪しげな仮想通貨に投資マネーが流入しています。下記のcoinmarketcapによると、仮想通貨の時価総額は2018年1月6日現在で7,932億ドルに達しています。とは言え、2008年の住宅ローンの規模と比べれば、仮想通貨の規模はまだ10分の1未満です。

ただし仮想通貨の時価総額は驚異的な急騰を見せる事があります。例えばビットコインは2016年1月1日に50,950円で始まり、2017年1月1日に114,760円、2018年1月1日に1,575,400円で始まっており、2年で30倍となりました。※1 帰納的に今後時価総額が30倍に膨らんでも不自然ではありません。

※1 Zaif のチャートより取得

もしも仮想通貨の時価総額が、現在の30倍の規模にまで増加した後にバブルが崩壊すれば、影響額は2008年のサブプライム・ローンの時を上回ります。その時はリーマン・ショック級の金融危機が引き起こされる可能性があります。

リーマン・ショックの際は、サブプライム・ローン証券を持っていない投資家も株安で大きく資産を減らしました。同様に、仮想通貨バブルが崩壊した場合は、仮想通貨へ投資していない投資家も、株安によって大きく資産を減らす事になるでしょう。

ITバブルのフィナーレ暴落(2000年) 当時の日経平均株価チャート


インターネット関連企業が注目され、株価が高騰したITバブルインターネットバブル)は、2000年に崩壊を始めました。特に2000年4月17日(月)の日経平均株価は前日比6.98%安の暴落となり、この日の暴落は「ITバブルのフィナーレ暴落」と呼ばれています。

その当時の日経平均株価のチャートを作成しました。

2000年4月17日前後の日経平均株価チャート

2000年4月17日(月)は、ITバブルのフィナーレと言える暴落です。下図は、4月17日(月)前後の日経平均株価チャートです。

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チャート作成の元データは株価データ倉庫から取得しました。

暴落の3営業日前がITバブル最高値

フィナーレ暴落の3営業日前が日経平均株価のピークでした。

2000年4月12日に日経平均株価は終値(かつ高値)20,833.21円をつけました。この20,833.21円という値は、ITバブルでの日経平均株価の最高値となりました。

NYダウの急落を受け、売りが売りを呼び暴落

フィナーレ暴落前日のNYダウの急落(617.78ドル安)を受け、2000年4月17日の日経平均株価は寄り付きから崩れました。前日比で1,426.04円安(6.98%安)の暴落となりました。

上記チャートの通り、暴落前は順調な上昇局面でしたが、この日を境に株価は下落トレンドに入りました。

詳細は下記のリンク先が詳しいです。

相場急落の恐れがあるとき(平均株価研究会)

この暴落は、高値圏での売り仕掛けの成功と言える暴落でした。売りが売りを呼んだタイプの暴落と言えそうです。

日経平均構成銘柄の大幅変更の寄与

なお、日経平均株価の構成銘柄大幅変更(30銘柄入れ替え)が4月15日(土)に発表され、4月24日に実施されています。入れ替えを受け、指数から除外される銘柄に売りが集中した事は、日経平均株価下落要因と言えます。

日経平均株価チャート②(長期チャート)

下図は前述のチャートよりも長期のチャートです。順調に上昇し、4月17日に突如暴落し、下落トレンドに入った様子がうかがえます。

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2000年をピークにインターネット・バブルは崩壊しました。その後も日経平均株価は下落を続け、半値以下の水準まで売り込まれました。そしてソニーショック翌営業日である2003年4月28日に、日経平均株価は1982年以来の最安値7603.76円をつけるに到りました。

関連・余談

ダウ平均株価の急落の理由

日経平均株価暴落の発端となった4月14日(金)のダウ平均株価の暴落には、明確なネガティブ・サプライズがありませんでした。強いて言えば、消費者物価指数(CPI)が良く、利上げの警戒売りと利益確定の売りが売りを呼び暴落となったと説明されます。

14日に発表された米国の消費者物価指数(CPI)が市場予想を上回ったことで、米連邦準備制度理事会(FRB)が今後行うとみられる利上げの幅が拡大すると警戒されたことから、同日のニューヨーク株式市場は大荒れ。ダウ平均株価は617.78米ドル、ナスダックは355.49ポイントと、それぞれ過去最大の下げ幅で取引を終えた。

出典:週明けの香港株式、NY暴落ショックで大幅安か(アジア経済ニュース 2000/04/17(月))

ITバブル崩壊後のNASDAQ指数

ITバブル崩壊日経平均株価は大きく下げましたが、米国のNASDAQ総合指数は更に大きく下げました。

インターネット・バブルの最盛期である2000年3月10日、NASDAQ総合指数は5,132.52ポイントをつけました。その後バブルの崩壊と共に指数は下がり続け、2002年10月10日に1,108.49ポイントをつけるまで下落しました。78%以上の下落に相当します。

イラク戦争(2003年)開戦前後の日経平均株価チャート


イラク戦争開戦時の日経平均株価チャートを作成しました。

イラク戦争は、アメリカ合衆国が主体のイラクへの侵攻で、2003年3月20日に開戦しました。

イラク戦争について

概要

イラク戦争は、アメリカ合衆国主体のイラクへの侵攻で、2003年3月20日に開戦しました。

2003年3月20日から5月1日まで、サダム・フセイン政権が国連による大量破壊兵器の査察に非協力的だという理由から、国連安保理の明確な決議のないまま、米国が英国と強行した戦争。米英軍は約15万人の兵力(うち英国軍は1万数千人)を投入し、「イラクの自由作戦」を展開した。

出典:イラク戦争(コトバンク:知恵蔵の解説より抜粋)

空爆開始日と開戦日

開戦日は2003年3月20日と決められていますが、実際には2003年3月17日にイラクへの空爆が開始されていました。空爆開始日と開戦日とのずれは「開戦に関する条約」によるものです。詳細は下記の通りです。

アメリカ側の攻撃が行われたのは17日ですが、17日の空爆の後にブッシュ大統領がフセイン政権側に48時間以内にフセイン大統領一家のイラク国外退去を命じた最後通牒を行い、イラク側がこれを受け入れなかったことで2日後の19日(米東部標準時)米英両国が作戦を開始しました。

開戦に関する条約には開戦に先立ち宣戦布告または条件付き宣戦布告を記した最後通牒を相手国に通告しなければならないと表記されているのでイラク戦争は最後通牒に記された日付からの開戦となり開戦日時は3月20日となります。

出典:イラク戦争の開戦日が2003年3月20日なのは、なぜですか?(Yahoo!知恵袋)

イラク戦争前後の日経平均株価チャート

下図は開戦前後の日経平均株価チャートです。

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開戦前の状況

開戦前、株は売られ、株価は下落していました。

かつて2000年のインターネットバブルの時期に、日経平均株価は2万円台に乗っていましたが、イラク戦争開戦前はバブル崩壊後の株価下落基調が止まらぬまま、日経平均株価は8,000円を割る状態でした。イラク戦争開戦前は、戦争が始まれば米国経済そして世界経済へ悪影響があるとの考えから、株は更なる売りを浴び、日経平均株価は2003年3月17日(月)の終値で7,871.64円まで下げていました。

開戦後の状況

開戦後は一旦、悪材料出尽くしの買いが入り、日経平均株価は上昇しました。2003年3月20日(木)、3月24日(月)と2日営業日連続して、窓を開けての上昇となりました。3月24日(月)に日経平均株価は終値で8,435.07円をつけ、3月17日(月)の終値と比べて7.1%高い水準まで株は買われました。

その後、日経平均株価は再びじりじりと下げたものの、ソニーショック(2003年4月25日)を境にして一転、それ以降は大きく上昇しました。この景気拡大局面は「いざなみ景気」として知られています。いざなみ景気はリーマン・ショックが起こる2008年まで継続した長期的な景気拡大期間です。

関連:イラク戦争前後の為替・株

為替は一旦、ドル高・円安へ

イラク戦争開戦で、為替は一旦ドル高・円安へ振れました。

イラク侵攻前日の2003年3月19日の為替レートは1ドル120.43円でしたが、イラク侵攻開始後に米ドルが買われドル高が進行、3月21日には1ドル121.87円をつける場面もありました。開戦は既に為替相場に織り込み済みであったため、材料出尽くしのドル買が入った様子です。

ただし、ドル高は長くは続きませんでした。暫くレンジ相場となった後、2003年9月20日のドバイG7共同声明によって、大きくドル安・円高へ振れる事になりました。

ダウ平均株価は上昇へ

軍事産業が盛んな米国では、この侵略戦争によって経済活動が活発になり、ダウ平均株価は上昇を始めました。

日経平均株価ソニーショック以降に上昇局面へ

米国の好況は日本にも波及しました。日本ではソニーショックでの株価下落を大底として、以降の日経平均株価上昇基調に入りました。2000年のインターネットバブルからの下落相場は、ソニーショックを境目に上昇相場に転換した形になりました。

イラク戦争(2003年)開戦前後のダウ平均株価チャート


イラク戦争は、アメリカ合衆国が主体のイラクへの侵攻で、2003年3月20日に開戦しました。下図はその前後のダウ平均株価チャートです。


2000年のドットコムバブル(インターネットバブル)崩壊の影響で下落基調であったダウ平均株価は、イラク戦争開戦後に回復を始めました。なぜなら米国は世界で最も軍事産業が盛んですので、侵略戦争によって米国の経済活動が活発になったからです。迷惑な国ですね。

とは言え、米国の回復は世界にも波及しました。日本でも2003年4月28日(ソニーショックの翌営業日)を大底として日経平均株価は上昇局面に入りました。

その後、加熱した投資マネーは住宅価格を上昇させ、サブプライム危機の原因として知られる米不動産バブル(2006年中盤頃ピーク)を形成して行く事になりました。

より馬鹿理論


より馬鹿理論とは、「モノの値段が本質的価値によって決まるのではなく、マーケットの参加者の非合理的な信念や期待によって決まる」というものです。もっと高い値段で買う人がいるという信念があれば、高い値段で買う事は合理的です。たとえ馬鹿な値段(高値)で買ったとしても、後でもっと馬鹿な値段(更なる高値)で売れれば儲かるからです。

不動産投資においては、不動産の価格は必ず値上がりするという土地神話が成り立つと考えるならば、不動産を買う事は合理的です。株式投資や芸術作品への投資でも同様です。

バブル相場が発生するのは、「高値で買っても儲かる」と考える投資家が買付けを行うからです。ただし、バブルは崩壊するものです。もっと馬鹿な人に売ろうと考えて売り損なった投資家は、バブル崩壊時にババを引き、自分が一番馬鹿だと気付く事になります。

ちなみに資産運用において、馬鹿な値段での買付けでも合理的な値段での買付けでも「誰に売りつけて儲けるか?」の視点を持つ事は重要です。売る時の相場をイメージし、保有銘柄を点検するもの良いでしょう。