セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャート


2013年5月23日の株価大暴落は、セルインメイと呼ばれます。その前後の日経平均株価チャートを作成しました。

セルインメイ(2013年)とは?

概要

2013年5月23日に、明確な理由なく国内市場の株価が暴落しました。

当時アベノミクスの景気刺激策により株価は高値圏にありました。そこへ短期筋の国債先物と日経平均先物への同時売り仕掛けがありました。それを引き金に、アルゴリズムの暴走と個人投資家の狼狽売りが始まりました。

そして売りが売りを呼ぶ形で、株価は暴落しました。この出来事はセルインメイ(2013年)と呼ばれます。

別名

別名①:矢口ヤリーマンショック

セルインメイは、当時あまりに明確な原因が無かったため、当時話題となっていたタレント矢口真里の不倫騒動に関連して、矢口ヤリーマンショックと呼ばれる事があります。

矢口ヤリーマンショックは、「株やってる人たちの流行語大賞2013」にノミネートされました。

別名②:バーナンキ・ショック

現在ではこの暴落は、バーナンキFRB議長(当時)が量的緩和の縮小を示唆する発言があった事が原因であったと後講釈され、バーナンキ・ショックとも呼ばれます。

バーナンキ・ショックは、2013年5-6月に発生した、アメリカ合衆国の連邦準備制度理事会(FRB)の第14代議長を務めたベン・バーナンキの発言を引き金とした世界的な金融市場の混乱(動揺)をいいます。これは、2013年5月22日に、当時のバーナンキFRB議長が、今後幾度かの会合を経て、債券の購入ペースを徐々に減速することで量的緩和を縮小する可能性を示唆し、さらに2013年6月19日には、FRBが今年中に債券の購入金額を減額し、2014年半ばに完全に終了する可能性があるという一段の踏み込んだ発言をしたことにより、世界的な流動性懸念が生じ、新興国の通貨や株式などから資金が流出し、市場に大きな動揺をもたらしました。

出典:バーナンキ・ショック(iFinance)

日経平均株価チャート

下図は、セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャートです。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

セルインメイ前

セルインメイの前は、アベノミクスによる多くの景気刺激策が発表され、株価は一本調子に上昇していました。

値固めの少ない一本調子の株価上昇では、テクニカル指標における明確な支持線が形成されません。そのため、売り仕掛けが成功しやすい相場の地合いとなっていました。

セルインメイ当日

セルインメイ当日の2013年5月23日の日経平均株価は、前日比プラス圏でリーマンショック後最高値の15,739.98円で順調に始まりました。更に場中には前日比+315.34円(+2.02%)に相当する高値15,942.6円をつける局面もありました。

ところが途中から売り仕掛けが入り、パニック売りに発展し株価は暴落しました。結局この日、終値(かつ安値)が14,483.98円の安値引けになりました。この株価水準は前日比で1,143.28円安(-7.32%)に相当する大暴落です。

セルインメイ後

短期的な調整局面へ

セルインメイはそれまでの上昇トレンドを反転させました。セルインメイを境として、以降株価は下落を続け、6月13日には12,415.85円をつけるに到りました。

長期的な上昇トレンドは崩れず

セルインメイの後、好調な世界景気を背景として、株価は回復しました。つまり、結果的に長期的な上昇トレンドは崩れませんでした。

下図はセルインメイ前後の日経平均株価の長期チャートです。2013年7月18日にはセルインメイを発端とする調整局面のおよそ半値戻しに相当する高値14,827.73円をつけました。更に2013年12月24日には、セルインメイの当日の高値を超える16,029.65円をつける局面もあり、全値戻しを達成しました。

関連・その他

本来のSell in May

近年では5月に起きた大暴落をセルインメイと呼ぶ事が増えました。ですが、本来「セルインメイ」は異なる意味の投資格言です。

元の格言は「Sell in May and Go Away But Remember to Come Back in September. (5月に売って相場から離れよ。けれど9月に戻ってくる事を忘れるな。)」です。

5月から9月にかけての株価は低迷しやすいというアノマリーのため、5月に売ると良いと言われているのです。

売りが売りを呼んだ暴落

明確な理由なく売りが売りを呼んだ事が原因で暴落した相場は、セルインメイの他にブラックマンデー(1987年)や、ITバブルのフィナーレ暴落(2000年)が有名です。

ブラックマンデーでの暴落は、平成バブル景気の最高値に向かう過程での値固めとなり、絶好の押し目となりました。一方でITバブルのフィナーレ暴落では株価は元の水準には戻らず下落を続け、株価は2003年4月のITバブル崩壊の底値へと下がり続けました。

米国の政府閉鎖(2013年)前後の米ドル/円為替チャート


2013年10月に一部の米国政府機関が閉鎖された際の米ドル/円為替チャートを投稿します。

米国の政府閉鎖(2013年)

予算が成立しなかったため、2013年10月1日から10月16日にかけて、一部の政府機関が閉鎖されました。

2013年9月、医療保険改革法(いわゆるオバマケア)を巡って、下院で多数を占める共和党は支出増大を招くとして反対しているのに対し、上院で多数の民主党は内政の最重要課題であり変更には応じられないとして対立して予算が成立しなかったため、10月1日から一部政府機関の閉鎖となる事態が発生。2013年10月16日に上下両院で政府機関の再開を可能にする来年1月15日までの暫定予算が可決され10月17日より一部で閉鎖されていた政府機関が再開された。

出典:政府閉鎖(wikipedia)

政府閉鎖前後の米ドル/円為替チャート

米国で政治的混乱が起これば、有事の円買いが誘発される傾向にあります。政府機関の閉鎖の際もこの例外ではなく、閉鎖前の9月20日から10月8日にかけて、ほぼ一貫してドル安・円高が進行しました。最もドル安・円高が進行したのは10月8日で1ドル96.571円をつける局面もありました。

ただし、その後ドルは買い戻されました。政府閉鎖の最終日となった10月16日は98.751円で終えました。

米国の政府閉鎖(2013年)前後のダウ平均株価チャート


2013年10月に一部の米国政府機関が閉鎖された際のダウ平均株価チャートを投稿します。

米国の政府閉鎖(2013年)

予算が成立しなかったため、2013年10月1日から10月16日にかけて、一部の政府機関が閉鎖されました。

2013年9月、医療保険改革法(いわゆるオバマケア)を巡って、下院で多数を占める共和党は支出増大を招くとして反対しているのに対し、上院で多数の民主党は内政の最重要課題であり変更には応じられないとして対立して予算が成立しなかったため、10月1日から一部政府機関の閉鎖となる事態が発生。2013年10月16日に上下両院で政府機関の再開を可能にする来年1月15日までの暫定予算が可決され10月17日より一部で閉鎖されていた政府機関が再開された。

出典:政府閉鎖(wikipedia)

政府閉鎖前後のダウ平均株価チャート

政府閉鎖が始まるより前に、ある程度の株価下落が始まっていました。9月19日から9月30日にかけて陽線は1本のみです。9月18日の終値15,676.94ドルから9月30日の終値15,129.67ドルまで、ダウ平均株価は-3.49%の下落をしていました。

政府閉鎖が始まった後も引き続き株価は下落し、10月9日に安値14,719.43ドルを付けました。ただし、その後は株価は回復に向かいました。そして政府閉鎖最終日の10月16日には終値15,373.83ドルを付けるなど、かなりの水準まで株価は回復しました。