ライブドア・ショック(2006年)前後のライブドア(4753.jp)株価チャート


ライブドア・ショック(2006年)前後のライブドア(4753.jp)の株価チャートです。

2006年1月16日(月)、証券取引法違反容疑で、東京地方検察庁特別捜査部が六本木ヒルズ内の本社・堀江社長の自宅・新宿の事業所などに強制捜査を行いました。これを受け、翌日以降のライブドア株はストップ安となりました。1月16日に696円で引けたライブドア株は、翌1月17日に596円(-14.4%)、1月18日は売買成立せず、1月19日に416円(-30.2%)、1月20日に336円(-19.2%)、1月23日に256円(-23.8%)、1月24日に176円(-31.3%)とストップ安で下がり続けました。この間のローソク足は実体(胴体)を持たなかったため、上図ではほとんど判別できません。ただし、目を凝らすとゴミのような横線を5つ確認できます。

1月25日に137円(-22.2%)、1月26日には113円(-17.5%)で引け、ここでようやく下げ止まりました。強制捜査の日の終値と比べて、83.76%安の水準に相当します。ライブドア株は6分の1以下まで叩き売られた形になりました。その後、4月14日にライブドアの株式は上場廃止しました。

なお、ライブドア株の暴落は他の新興市場株に波及し、更に国内株全般に波及しました。この株式暴落事件はライブドア・ショックと呼ばれています。

東日本大震災(2011年)前後の日経平均株価チャート


東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した大規模地震災害です。

この震災前後の日経平均株価チャートを作成しました。地震をはじめとする大規模災害は株価下落要因です。震災後に日経平均株価は急落し、震災前の3月10日と比べ、3営業日で2,361.87円安(22.3%安)になりました。

東日本大震災

東日本大震災は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震と、それに起因する津波被害、福島第一原子力発電所のメルトダウンによる放射能汚染等を総称する大規模災害です。

地震

地震は2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生しました。

この地震を東北地方太平洋沖地震と呼びます。東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0、最大震度7(宮城県栗原市)を記録し、観測史上最大の地震になりました。東北地方太平洋沖地震は、以下に記すとおり、さまざまな災害を招きました。

津波

太平洋海底で発生した地震は、海水を押し上げる事で津波を引き起こしました。

津波は波高10mを超え、最大遡上高40.1mを記録する巨大津波となりました。震災による死者の90%以上は、この津波による水死です。

原発事故

津波は原発事故を招きました。

津波は東京電力福島第一原子力発電所を水没させました。その結果、電源喪失によりコントロールを失った原子力発電所はメルトダウンし、きのこ雲の発生を伴う大爆発をしました。放射能汚染は広範囲におよびました。

被害

2018年3月9日時点での警視庁の発表によれば、死者は18,434人、重軽傷者は6,156人、警察に届出があった行方不明者は2,539人とされます。

日本政府は震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円としています。この値は、原発関係の被害を除いた数値です。

東日本大震災(wikipedia)

日経平均株価チャート

震災の当日・翌日以降

下図は東日本大震災前後の日経平均株価の推移です。

震災の5営業日前の2011年3月4日から25営業日後の2011年4月18日までをプロットしています。

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データは株価データ倉庫から取得しました。

震災当日

震災当日の2011年3月11日は、日経平均株価は10,298.64円で始まり、高値10,378.55を付けています。

その後2時46分の地震を受け売り優勢となり株価は下落、10,254.43円の安値引けとなりました。前日比179.95円安(-1.72%)です。

震災翌営業日

土日を挟み、地震と津波の被害が明らかになってきました。

これを受け、翌営業日の2011年3月14日(月)は、前日比で210.26円安の水準である10,044.17円から始まりました。その後福島第一原子力発電所の3号機がキノコ雲の発生を伴う大爆発をした事を受け、日経平均株価は下げ幅を拡大し、9,620.49円で引けました。前日比633.94円安(-6.18%)の暴落をしました。

震災翌翌営業日

更に翌3月15日(火)には4号機が爆発・炎上し、放射能汚染が広範囲に拡大しました。この日に東京都新宿区でも放射性物質の飛来が観測されました。これを受け日経平均株価は下げ幅を拡大し、安値8,227.63円をつけています。

この安値は、震災前3月10日終値と比べ、2,361.87円安(22.3%安)に相当します。わずか3営業日で日経平均株価はここまでの急落をしたわけです。地震をはじめとする大規模災害は株価下落要因です。

震災前後の主要経済イベント

下図は、広い時間軸での東日本大震災前後の日経平均株価の推移です。

75営業日前の2010年11月17日から、200営業日後の2012年1月4日までをプロットしています。

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震災前:2010年欧州ソブリン危機

東日本大震災の前の日経平均株価は堅調でした。

2010年欧州ソブリン危機は、危機状態を脱しつつあり、世界経済は回復基調となっていました。上記のチャートでも、震災直前の株価は上昇基調であった事が分かります。

震災後:米国債ショック

震災後の日本株の株価下落に、米国債ショックが追い打ちをかけました。

2011年8月5日にS&Pが米国債の格付けをAAAからAA+に格下げしました。これによりソブリン債の信頼性が揺らぎ、金融不安から世界各国の株価指数は下落しました。これを米国債ショック2011年)と呼びます。

震災と株価・経済

産業のサプライチェーンの分断と景気の悪化

東日本大震災は産業のサプライチェーンを分断し、日本経済に大きな悪影響を与えました。東北地方でしか作成されていなかった部品の供給が滞り、自動車メーカーを中心とする複雑な製品を作成する製造業者は生産能力を失い、業績を悪化させました。

複雑な製品の中には、東北地方でしか作成されず、代替が効かない部品が含まれる可能性が高かったからです。もちろんメーカー側は事前にリスク分散に気を遣っていました。ところが、3次下請け、4次下請けなどの下流において、共通部品の利用によるリスク分散が効果を失っていた事が発覚しました。

震災の影響は広範囲かつ長期におよびました。その結果、震災前までの景気の回復基調と明るい経済展望は一転してしまいました。そして、日経平均株価震災前日の10,500円には届かなくなります。

震災で上がった株

上記の通り多くの日本株は業績悪化が折り込まれ、株価が下がりました。その中で逆に暴騰した株もあります。

まず、多くの建設株は株価が上がりました。復興需要から業績向上が期待されたためです。銘柄によっては値がつかず、代わりに建設株ETFが、基準価額から上方乖離しながら、高値で買われる事態も起こりました。典型的な震災関連銘柄は、下記のリンクが詳しいです。

更に東日本大震災では原発に代わる発電の需要から、風力発電を中心とする新エネルギーに関わるテーマ株も上昇しました。

このように、東日本大震災後は建設株と代替エネルギー関連株の上昇が目立ちましたが、その他にも物資の需要増から多くの小売株のファンダメンタルズが向上しました。そしてこれらの小売株は地味に、長期的に値を上げました。

日経平均株価は上値抵抗線を形成

震災前終値である日経平均株価10,434.38円は、テクニカル分析における抵抗線になりました。震災以降、日経平均株価は何度かこの値を超える事を目指し、跳ね返されました。

具体的に、日経平均株価2011年5月2日に10,004.20円、7月8日に10,137.73円、7月22日に10,132.11円、2012年3月27日に10,255.15円をつけていますが、いずれもこの抵抗線を超えるには到りませんでした。

このように日経平均株価は低迷を続け、結局日経平均株価震災前終値を超えるのはアベノミクスバブル相場が始まった後、2013年1月4日の10,688.11円をつけるまで待つことになりました。

オプションの暴騰

日経平均株価の急激な値動きは、オプション市場において、プットオプション価格を数百倍へと暴騰させました。その結果、オプションの売り手の中から破産する者が続出しました。

また、証券会社も破産者の対応に追われる事になりました。例えば松井証券では、顧客の決済損に対する不足金が35億円発生しました。これは主に、オプションの売建によるものでした。

為替への影響

震災後、為替は乱高下しました。

震災前日の3月10日、1ドル82.97円でしたが、有事の円買いにより円高が進行しました。わずか1週間後の3月17日には、1ドル76.24円まで円高・ドル安が進みました。この短期間に6.73円(8.1%)という大きな変動幅で円高が進んだ計算になります。

ところがその後、日銀為替介入を始めとした円売り・円売りの思惑が優位となり、円安が進行しました。そして2011年4月6日には1ドル85.52円を記録しました。これは、3月17日の値と比較すれば、実に9.28円(12.2%)もの下落(円安)です。

世界の株価への影響

震災の影響は世界の経済活動の停滞をも意識させ、世界の株価へ少なからず悪影響を与えました。例えばダウ平均株価は震災後下落し、3月16日には11,555.48ドルをつけました。これは震災前と比べ、-3.6%の水準になります。

まとめ

東日本大震災は、地震・津波・放射能汚染により、製造業を中心に日本経済に大きな打撃を与えました。震災後に日経平均株価は急落し、震災前と比べ、3営業日で2,361.87円安(22.3%安)になりました。

その後日本経済は低迷を続け、震災前の日経平均株価終値10,434.38円は抵抗線になりました。この抵抗線は、2013年1月4日になり初めて突破されました。

パウエル・ショック前後の日経平均株価チャート


2018年2月6日(火)、前日のダウ平均株価の暴落を受けて日経平均株価は急落、前日比-1071.84円安の21,610.24円で引けました。この急落局面は、前日(2月5日)に米連邦準備制度理事会(FRB)の就任宣誓式を行ったパウエル新議長にちなんでパウエル・ショックと呼ばれます。この前後の日経平均株価チャートを投稿します。

パウエル・ショックの時系列

2月6日(火)に日経平均株価暴落する前に、米国を舞台として、好調な雇用統計を発端とした金利急騰・株安騒動がありました。

雇用統計が利上げを示唆

2018年2月3日(金)に米国雇用統計が発表されました。予想よりも良い数値であったため、利上げのペースが上がる事が連想され、米国債の金利が急上昇しました。株式よりも債券への投資妙味が増し、株が売られ、ダウ平均株価は前日比665.75ドル安となりました。

1月の米雇用統計は非農業部門の就業者数が前月比20万人増と、市場予想の18万人増を上回った。賃金は前年比で2009年6月以来の大幅な伸びとなり、米連邦準備理事会(FRB)が年内の利上げペースを加速させる可能性があることが意識された。

これを受け、米10年債利回りは2.8450%と、2014年1月以来の高水準をつけ、株式よりも米債への投資妙味が高まった。

出典:ダウ666ドル安、約9年ぶりの大幅な下げ幅 米債利回り急上昇で

パウエルFRB新議長の就任宣誓式と株価暴落

週が明け、2月5日(月)にパウエルFRB新議長の就任宣誓式が行われました。目新しい内容は無く、年4回の利上げが視野に入り米国債の利回りは更に上昇しました。これを受けて米国株は利益確定売り・手仕舞い売りを巻き込み暴落、ダウ平均株価の終値は前週末比1,175.21ドル安の24,345.75ドルになりました。

米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル新議長が就任宣誓式を行った5日、ニューヨーク株式市場が過去最大の下げ幅を記録した。株価急落はFRBの利上げが加速することへの警戒が誘因になっており、3月の追加利上げを予想する見方が市場で強まる中、パウエル氏には、議長に求められる「市場との対話」の資質が早々に問われる多難な船出となりそうだ。

 パウエル氏は5日、「金融政策を通じて経済成長の維持と健全な雇用市場、物価安定を支える」との声明を発表した。内容に新味はないが、前週末2日から週明け5日に続く株価急落は、従来3回と想定された年内利上げ回数が4回に増える可能性を市場が視野に入れ始めた中で起きた。

出典:パウエルFRB新議長、多難な船出 「市場との対話」早々に試練

ダウ平均は朝方から大幅に下げて始まった。米長期金利の指標である10年物国債利回りが5日未明に一時2.88%と前週末から水準を切り上げた。金利上昇で企業の資金調達コストが増すうえ、個人消費も抑制し米景気の足かせになるとの警戒感が広がった。投資家が運用リスクを回避する姿勢を急速に強めた。

出典:米国株、急落 ダウ1175ドル安で史上最大の下げ幅、調整局面入りとの見方

日経平均株価チャート


それまで好調に推移していた日経平均株価でしたが、2018年2月6日(火)、前日のダウ平均株価の暴落を受けて始値から安く始まりました。株価の下落は上昇相場に慣れていた投資家の狼狽売りを誘い、場中にも下げ幅を拡大し、この日は前日比-1071.84円安の21,610.24円で引けました。

その後も株価回復には至りませんでした。急落局面が株価のボラティリティを跳ね上げた結果、金融工学的に株式投資のリスクの側面が強調され、保有株の圧縮のための株売りが起こりました。特にリスクパリティ法による運用者は株売りに傾きました。これらの株売りは、株価の回復の妨げとなりました。

フラッシュ・クラッシュ(2010年)前後のダウ平均株価チャート


2010年5月6日、わずか数分の間にダウ平均が1000ドル近く下落しました。この瞬間的大暴落はフラッシュ・クラッシュと呼ばれています。フラッシュ・クラッシュが起きた前後のダウ平均株価チャート(日足)を作成しましたので投稿します。

フラッシュ・クラッシュとは?

2時40分、ダウ平均株価は急落し始め、わずか数分の間に1000ドル近く下落、出来高は190億株に達した。当初、誤発注など様々な原因が指摘されたが、調査報告書では「複数の要因が重なったためであり未だ明らかではない」とされている。
NYSE(ニューヨーク証券取引所)およびナスダックの上場株の取引分散化がここ数年で急速に進んでおり、注文は最大50カ所に分散され、電子取引される。取引所の分散による大量注文、高速取引、アルゴリズム取引などの要因が組み合わさって起こった可能性が考えられている。

出典:フラッシュ・クラッシュとは(Hatena keyword)

ダウ平均株価チャート



元データを株価データ倉庫から取得し、チャートを作成、投稿しています。

フラッシュ・クラッシュの前日までの動き

上昇基調にあったダウ平均株価は4月12日以降にレンジ相場を形成し、11,100ドルを中心に±100ドル程度の比較的狭い範囲を動いていました。その後5月4日に下方へブレイクし、一時10,900ドルを割りました。フラッシュ・クラッシュの前日5月5日は、10,866.83ドルで引けました。

つまり、フラッシュ・クラッシュの前日には、買いが出尽くして上昇相場の終焉を示唆するチャートが形成されていました。

フラッシュ・クラッシュ当日

5月6日のダウ平均株価は、一時的に大暴落し、安値9,869.62ドルをつけました。これは前日比997ドル安(-9.17%)に相当します。売りが売りを呼び、パニック的な暴落となりました。ただしその後、相場は落ち着きを取り戻し急回復、終値は10,520.32ドルとなりました。

その後のダウ平均株価

その後のダウ平均株価は一時的に上昇局面に転じた日もありましたが、下落基調となりました。下落基調は2010年7月2日までのおよそ2カ月間続きました。この7月2日に、ダウ平均株価は9,614.32ドルをつける局面もありました。7月2日より後は、ダウ平均株価は上昇基調へと変化しました。


こうして振り返ってみればフラッシュ・クラッシュは、高値警戒感のある水準で発生した暴落であると言えます。

セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャート


2013年5月23日の株価大暴落は、セルインメイと呼ばれます。その前後の日経平均株価チャートを作成しました。

セルインメイ(2013年)とは?

概要

2013年5月23日に、明確な理由なく国内市場の株価が暴落しました。

当時アベノミクスの景気刺激策により株価は高値圏にありました。そこへ短期筋の国債先物と日経平均先物への同時売り仕掛けがありました。それを引き金に、アルゴリズムの暴走と個人投資家の狼狽売りが始まりました。

そして売りが売りを呼ぶ形で、株価は暴落しました。この出来事はセルインメイ(2013年)と呼ばれます。

別名

別名①:矢口ヤリーマンショック

セルインメイは、当時あまりに明確な原因が無かったため、当時話題となっていたタレント矢口真里の不倫騒動に関連して、矢口ヤリーマンショックと呼ばれる事があります。

矢口ヤリーマンショックは、「株やってる人たちの流行語大賞2013」にノミネートされました。

別名②:バーナンキ・ショック

現在ではこの暴落は、バーナンキFRB議長(当時)が量的緩和の縮小を示唆する発言があった事が原因であったと後講釈され、バーナンキ・ショックとも呼ばれます。

バーナンキ・ショックは、2013年5-6月に発生した、アメリカ合衆国の連邦準備制度理事会(FRB)の第14代議長を務めたベン・バーナンキの発言を引き金とした世界的な金融市場の混乱(動揺)をいいます。これは、2013年5月22日に、当時のバーナンキFRB議長が、今後幾度かの会合を経て、債券の購入ペースを徐々に減速することで量的緩和を縮小する可能性を示唆し、さらに2013年6月19日には、FRBが今年中に債券の購入金額を減額し、2014年半ばに完全に終了する可能性があるという一段の踏み込んだ発言をしたことにより、世界的な流動性懸念が生じ、新興国の通貨や株式などから資金が流出し、市場に大きな動揺をもたらしました。

出典:バーナンキ・ショック(iFinance)

日経平均株価チャート

下図は、セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャートです。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

セルインメイ前

セルインメイの前は、アベノミクスによる多くの景気刺激策が発表され、株価は一本調子に上昇していました。

値固めの少ない一本調子の株価上昇では、テクニカル指標における明確な支持線が形成されません。そのため、売り仕掛けが成功しやすい相場の地合いとなっていました。

セルインメイ当日

セルインメイ当日の2013年5月23日の日経平均株価は、前日比プラス圏でリーマンショック後最高値の15,739.98円で順調に始まりました。更に場中には前日比+315.34円(+2.02%)に相当する高値15,942.6円をつける局面もありました。

ところが途中から売り仕掛けが入り、パニック売りに発展し株価は暴落しました。結局この日、終値(かつ安値)が14,483.98円の安値引けになりました。この株価水準は前日比で1,143.28円安(-7.32%)に相当する大暴落です。

セルインメイ後

短期的な調整局面へ

セルインメイはそれまでの上昇トレンドを反転させました。セルインメイを境として、以降株価は下落を続け、6月13日には12,415.85円をつけるに到りました。

長期的な上昇トレンドは崩れず

セルインメイの後、好調な世界景気を背景として、株価は回復しました。つまり、結果的に長期的な上昇トレンドは崩れませんでした。

下図はセルインメイ前後の日経平均株価の長期チャートです。2013年7月18日にはセルインメイを発端とする調整局面のおよそ半値戻しに相当する高値14,827.73円をつけました。更に2013年12月24日には、セルインメイの当日の高値を超える16,029.65円をつける局面もあり、全値戻しを達成しました。

関連・その他

本来のSell in May

近年では5月に起きた大暴落をセルインメイと呼ぶ事が増えました。ですが、本来「セルインメイ」は異なる意味の投資格言です。

元の格言は「Sell in May and Go Away But Remember to Come Back in September. (5月に売って相場から離れよ。けれど9月に戻ってくる事を忘れるな。)」です。

5月から9月にかけての株価は低迷しやすいというアノマリーのため、5月に売ると良いと言われているのです。

売りが売りを呼んだ暴落

明確な理由なく売りが売りを呼んだ事が原因で暴落した相場は、セルインメイの他にブラックマンデー(1987年)や、ITバブルのフィナーレ暴落(2000年)が有名です。

ブラックマンデーでの暴落は、平成バブル景気の最高値に向かう過程での値固めとなり、絶好の押し目となりました。一方でITバブルのフィナーレ暴落では株価は元の水準には戻らず下落を続け、株価は2003年4月のITバブル崩壊の底値へと下がり続けました。

ITバブルのフィナーレ暴落(2000年) 当時の日経平均株価チャート


インターネット関連企業が注目され、株価が高騰したITバブルインターネットバブル)は、2000年に崩壊を始めました。特に2000年4月17日(月)の日経平均株価は前日比6.98%安の暴落となり、この日の暴落は「ITバブルのフィナーレ暴落」と呼ばれています。

その当時の日経平均株価のチャートを作成しました。

2000年4月17日前後の日経平均株価チャート

2000年4月17日(月)は、ITバブルのフィナーレと言える暴落です。下図は、4月17日(月)前後の日経平均株価チャートです。

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チャート作成の元データは株価データ倉庫から取得しました。

暴落の3営業日前がITバブル最高値

フィナーレ暴落の3営業日前が日経平均株価のピークでした。

2000年4月12日に日経平均株価は終値(かつ高値)20,833.21円をつけました。この20,833.21円という値は、ITバブルでの日経平均株価の最高値となりました。

NYダウの急落を受け、売りが売りを呼び暴落

フィナーレ暴落前日のNYダウの急落(617.78ドル安)を受け、2000年4月17日の日経平均株価は寄り付きから崩れました。前日比で1,426.04円安(6.98%安)の暴落となりました。

上記チャートの通り、暴落前は順調な上昇局面でしたが、この日を境に株価は下落トレンドに入りました。

詳細は下記のリンク先が詳しいです。

相場急落の恐れがあるとき(平均株価研究会)

この暴落は、高値圏での売り仕掛けの成功と言える暴落でした。売りが売りを呼んだタイプの暴落と言えそうです。

日経平均構成銘柄の大幅変更の寄与

なお、日経平均株価の構成銘柄大幅変更(30銘柄入れ替え)が4月15日(土)に発表され、4月24日に実施されています。入れ替えを受け、指数から除外される銘柄に売りが集中した事は、日経平均株価下落要因と言えます。

日経平均株価チャート②(長期チャート)

下図は前述のチャートよりも長期のチャートです。順調に上昇し、4月17日に突如暴落し、下落トレンドに入った様子がうかがえます。

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2000年をピークにインターネット・バブルは崩壊しました。その後も日経平均株価は下落を続け、半値以下の水準まで売り込まれました。そしてソニーショック翌営業日である2003年4月28日に、日経平均株価は1982年以来の最安値7603.76円をつけるに到りました。

関連・余談

ダウ平均株価の急落の理由

日経平均株価暴落の発端となった4月14日(金)のダウ平均株価の暴落には、明確なネガティブ・サプライズがありませんでした。強いて言えば、消費者物価指数(CPI)が良く、利上げの警戒売りと利益確定の売りが売りを呼び暴落となったと説明されます。

14日に発表された米国の消費者物価指数(CPI)が市場予想を上回ったことで、米連邦準備制度理事会(FRB)が今後行うとみられる利上げの幅が拡大すると警戒されたことから、同日のニューヨーク株式市場は大荒れ。ダウ平均株価は617.78米ドル、ナスダックは355.49ポイントと、それぞれ過去最大の下げ幅で取引を終えた。

出典:週明けの香港株式、NY暴落ショックで大幅安か(アジア経済ニュース 2000/04/17(月))

ITバブル崩壊後のNASDAQ指数

ITバブル崩壊日経平均株価は大きく下げましたが、米国のNASDAQ総合指数は更に大きく下げました。

インターネット・バブルの最盛期である2000年3月10日、NASDAQ総合指数は5,132.52ポイントをつけました。その後バブルの崩壊と共に指数は下がり続け、2002年10月10日に1,108.49ポイントをつけるまで下落しました。78%以上の下落に相当します。

ブラックマンデー(1987年) 日経平均株価はどう暴落したか?その後どうなったか?


ブラックマンデー(1987年)に日経平均株価は歴史的な大暴落をしました。

前日の米国株の大暴落を受け、1987年10月20日の日経平均株価の終値は21,910円まで下げました。これは前日比で3,837円も安い水準です。比率にすれば-14.9% もの大暴落となりました。

ブラックマンデー

ブラックマンデーとは?

1987年10月19日(月)に、米国ニューヨーク株式市場に起こった暴落を発端とする世界同時株安をブラックマンデー(Black Monday)と呼びます。

ダウ平均の暴落

1987年10月19日(月)のダウ平均株価は、前の営業日比で508ドル安、22.6%という下げ幅を記録する大暴落となりました。

この株安は世界各国に連鎖しました。

日本では火曜日に暴落

日本では1987年10月20日(火)に、日経平均株価が前日比で3,837円安(-14.9% )となりました。つまり世界同時株安にはブラックマンデーと名前がついていますが、日本での暴落火曜日に起こりました。

当時の日経平均株価チャート

下図はブラックマンデー前後の日経平均株価の推移です。

一番目立つ1987年10月20日(火)の大陰線がブラックマンデーの際の株価です。チャートはブラックマンデーの前後、1987年10月13日(5営業日前)から11月24日(25営業日後)の期間をプロットしています。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

ブラックマンデーでの日経平均株価大暴落

1987年10月20日の始値は、高値と等しく25,745円です。終値は安値と等しく21,910円です。場中に3,835円を下げる大暴落となりました。

チャートのロウソク足は髭を形成せず、陰の丸坊主となりました。

特大の暴落では大陰線

多くの場合、特大の暴落では日経平均株価のチャートは窓を開けず、場中に下がり陰線になります。

これは買い注文があまりに少なく、最初に値が付かない銘柄があるためにそう見えます。ちなみに日経平均先物チャートは、始値から豪快に下がります。

ブラックマンデーはどうして起こったか?

明確な理由の有る暴落・無い暴落

ブラックマンデーは、明確なネガティブ・サプライズなしに起こりました。この点において、他の多くの暴落相場とは異なります。

理由が明確な暴落

例えばリーマン・ショック2008年)の暴落は、政府に救済されると予想されていたリーマン・ブラザーズが、救済されない事に決まったために起こりました。また、Brexitショック(2016年)の暴落は、EUに残留されると予想されていた英国がEU離脱を決めたために起こりました。

このように、一般的に株価大暴落には理由がある事が多いです。その一方で、ブラックマンデーの暴落明確な理由が無い突然の暴落でした。

売りが売りを呼んだ、明確な理由のない暴落

ブラックマンデーは、「売りが売りを呼ぶ」事で暴落しました。

パニックになった投資家が売り注文を出して株価が暴落したため、他の投資家がパニックになり投げ売りの注文を出す構造です。相場は明確なネガティブ・サプライズ無しに下落する事があります。ブラックマンデーのように、明確な理由なく暴落した例としては、近年ではITバブルのフィナーレ暴落(2000年) やセルインメイ(2013年)があります。いずれの暴落も、高値圏にあった株価が利益確定売りとパニック売りにより急落した構造になっています。

米国ではアルゴリズム売買も一因

ブラックマンデーの株価大暴落の発端となった米国では、コンピューターによる売買アルゴリズムが、損失を限定するために手仕舞い売り注文を出し、これが連鎖したとも言われています。

なお日本の東証へのコンピューターの導入は1990年の11月であり、ブラックマンデーの後の出来事になります。

ダウ平均株価が22.6%下げたのに対して、日経平均株価の下落が14.9%に留まった理由の1つとして、東証の売買システムが未熟であったため、不器用なアルゴリズムによる売り注文が入る余地が無かった事が挙げられます。

立会場の歴史(東京証券取引所)

時代背景

1985年にプラザ合意が結ばれ、ドル高の抑制(ドル安への介入)が行われた結果、ドル安に歯止めがかからなくなりました。

このドル安を受け、1987年2月22日にドル高に誘導するためのルーブル合意が結ばれましたが、9月に西ドイツはアメリカの反対を振り切って、ドイツマルクが上昇しているにもかかわらず金利を引き上げました。そのため政策協調の信頼性は損なわれ、米国株を始めとするドル資産を売却して好景気な国の高金利通貨を購入する流れができる可能性が考えられました。

また、逆にドル防衛のためにFRBが大幅に金利を引き上げるのではないかとも言われていました。金利を引き上げれば通貨高となりますが、景気を冷やします。ブラックマンデーの2ヶ月前にFRB議長職がポール・ボルカーからアラン・グリーンスパンへ引き継がれていたことも、金利政策の不安を増長させました。

高金利通貨へのマネーの流れが出来ても、FRBが利上げをしても、いずれにしても米国株安に繋がります。この不安が市場に台頭し、相場は不安定な状況になっていたようです。このように、きっかけさえあれば売りを仕掛ける素地はあったわけです。

ブラックマンデー(Hatena Keyword)

ブラックマンデー後に、日本の株価はどう推移したか?

その後の日経平均株価チャート

下図は1986年10月20日前後の日経平均株価チャートです。ブラックマンデーの前後、1987年7月14日(75営業日前)から1988年7月19日(200営業日後)までをプロットしています。

black-monday1987_2
元データは株価データ倉庫から取得しました。

再び株価上昇基調へ

ブラックマンデーの後、日経平均株価は下げ止まり、1988年1月以降に再び強い上昇基調となりました。

そして1988年6月17日には、ブラックマンデーの終値比で29.6%も高い28,395円を付けています。

その後も日本株は好調を維持しました。

日本ではルーブル合意後、米国のドル安への配慮から利上げが遅れていました。そのため株価や不動産価格が暴騰しました。そして日経平均株価は史上最高値である38,957.44円(1989年12月29日)をつけるに到りました。この相場は平成バブル景気と呼ばれています。