ドバイ・ショック(2009年)前後の日経平均株価チャート

ドバイ・ショックとは

2009年11月25日(水)に、アラブ首長国連邦 (UAE) ドバイのドバイ政府が、政府系持株会社ドバイ・ワールドの債務返済繰り延べを要請すると発表しました。この発表により、ドバイへ出資していた企業の業績悪化が懸念され、更に連想売りを巻き込んで、世界の株式市場が全面安となりました。これをドバイ・ショックと呼びます。

2009年11月25日、UAEを構成する首長国のひとつであるドバイ政府が、ドバイ・ワールドの債権者に対し、590億ドル(約5兆円)にのぼる全債務について返済期限を6か月以上繰り延べることを認めるよう要請することを発表した。

(中略)

翌11月26日の欧州株式市場では、ドバイ政府が債務不履行を起こすリスクや、ドバイへの出資を積極的に行ってきた欧州の金融機関の債権焦げ付きへの懸念から、銀行株を中心に株式相場が急落。その影響は米国や日本など世界中の株式市場に拡大した。日本では、中東などでの海外事業を拡大してきた大手ゼネコンなどを中心に株価が大幅に値下がりした。

出典:ドバイ・ショック(Wikipedia)

ドバイ・ショック前後の日経平均株価チャート



元データは株価データ倉庫から取得し、加工し投稿しました。

ドバイ政府の発表の翌日2009年11月26日(木)の日経平均株価は、9,383.24円(前日比-58.4円/-0.62%)と影響は限定的でした。ところがドバイから逃げ出した投資マネーが安全資産の円に向かった事で円高が進行し、輸出企業の業績悪化悪化懸念から株安が相場全体に波及した事で、2009年11月27日(金)の日経平均株価は9,081.52円(前日比-301.72円/-3.22%)と大幅安になりました。

ただし、株安はそこまでで終わりました。同11月27日(金)に日銀が金融機関に為替水準を照会しする事で為替介入への意欲を示し、これは事実上の口先介入となり円高に歯止めがかかり、株安が止まりました。更に12月1日(火)に日銀は臨時の金融政策決定会合を開き、金融緩和を発表、株価の上昇に弾みがつきました。

東京オリンピック(1964年)前後の日経平均株価チャート

東京オリンピック(1964年)前後の日経平均株価チャートを作成しました。このチャートを元に、当時の経済動向についてまとめます。オリンピック景気で日経平均株価は、オリンピック開催の1年半前の1963年4月5日に、高値1,634.37円をつけましたが、その後、株価は下落し、証券不況が訪れました。

東京オリンピック(1964年)

1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、第18回オリンピック競技大会にあたり、1964年10月10日(土)から24日(土)までの15日間にわたり開催されました。

東京オリンピック1964(日本オリンピック委員会)

Wikipediaにも詳しい記述があります。

日本及びアジア地域で初めて開催されたオリンピックで、また有色人種国家における史上初のオリンピックでもある。 歴史的には、第二次世界大戦で敗戦し急速な復活を遂げた日本が、再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持つ。 過去最高の出場国数。

東京オリンピック(Wikipedia)

オリンピック前後の日経平均株価

下図は1964年東京オリンピック前後の日経平均株価チャートです。


値は株価データ倉庫から取得し、チャートに加工した上で投稿しています。

岩戸景気による高値

チャートの表示期間における高値は、1961年7月18日につけた1,829.74円です。オリンピックの3年前の時期に相当します。

岩戸景気(1958年7月~1961年12月)により株価が上昇していましたが、この日を境に景気調整を警戒した売りが入り、株価は下落しました。岩戸景気の後、昭和37年不況と呼ばれる短期間(10カ月)の不景気が訪れました。

オリンピック景気と株価の高値

1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)10月までがオリンピック景気の期間に相当し、内閣府の景気基準日付では第5循環の拡大期にあたります。

景気基準日付(内閣府)

オリンピック景気による高値としては、1963年4月5日に1,634.37円をつけました。株価が高値をつけたのは、オリンピック開催の1年半前の時期にあたる事になりました。その後は株価は下落を続けました。

オリンピック景気は1964年10月まで続きますが、株価は景気に先行して動きますので、早めに売り注文が入った事が読み取れます。

オリンピック後の証券不況

オリンピックの後、証券不況と呼ばれる景気後退局面が訪れました。日経平均株価は下落を続け、1965年7月12日には1,020.49円をつけました。

証券不況ついての記述も、Wikipediaに詳しいものがあります。

高度経済成長期の只中、東京オリンピックや新幹線の整備などによる総需要の増加(オリンピック景気)で、日本経済は高い経済成長を達成していた。経済成長は同時に証券市場の成長も促し、投資信託の残高は1961年に4年前の約10倍となる1兆円を突破した。この勢いは、当時、「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というフレーズが流行るほどだった。

しかし、1964年に東京オリンピックが終了し、金融引き締めも重なると、企業業績の悪化が顕在化した。1964年にサンウェーブと日本特殊鋼(現大同特殊鋼)が、1965年には山陽特殊製鋼が負債総額500億円で倒産した(山陽特殊製鋼倒産事件)。

証券不況(Wikipedia)

イラク戦争(2003年)開戦前後の日経平均株価チャート

イラク戦争開戦時の日経平均株価チャートを作成しました。

イラク戦争は、アメリカ合衆国が主体のイラクへの侵攻で、2003年3月20日に開戦しました。

イラク戦争について

概要

イラク戦争は、アメリカ合衆国主体のイラクへの侵攻で、2003年3月20日に開戦しました。

2003年3月20日から5月1日まで、サダム・フセイン政権が国連による大量破壊兵器の査察に非協力的だという理由から、国連安保理の明確な決議のないまま、米国が英国と強行した戦争。米英軍は約15万人の兵力(うち英国軍は1万数千人)を投入し、「イラクの自由作戦」を展開した。

出典:イラク戦争(コトバンク:知恵蔵の解説より抜粋)

空爆開始日と開戦日

開戦日は2003年3月20日と決められていますが、実際には2003年3月17日にイラクへの空爆が開始されていました。空爆開始日と開戦日とのずれは「開戦に関する条約」によるものです。詳細は下記の通りです。

アメリカ側の攻撃が行われたのは17日ですが、17日の空爆の後にブッシュ大統領がフセイン政権側に48時間以内にフセイン大統領一家のイラク国外退去を命じた最後通牒を行い、イラク側がこれを受け入れなかったことで2日後の19日(米東部標準時)米英両国が作戦を開始しました。

開戦に関する条約には開戦に先立ち宣戦布告または条件付き宣戦布告を記した最後通牒を相手国に通告しなければならないと表記されているのでイラク戦争は最後通牒に記された日付からの開戦となり開戦日時は3月20日となります。

出典:イラク戦争の開戦日が2003年3月20日なのは、なぜですか?(Yahoo!知恵袋)

イラク戦争前後の日経平均株価チャート

下図は開戦前後の日経平均株価チャートです。

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開戦前の状況

開戦前、株は売られ、株価は下落していました。

かつて2000年のインターネットバブルの時期に、日経平均株価は2万円台に乗っていましたが、イラク戦争開戦前はバブル崩壊後の株価下落基調が止まらぬまま、日経平均株価は8,000円を割る状態でした。イラク戦争開戦前は、戦争が始まれば米国経済そして世界経済へ悪影響があるとの考えから、株は更なる売りを浴び、日経平均株価は2003年3月17日(月)の終値で7,871.64円まで下げていました。

開戦後の状況

開戦後は一旦、悪材料出尽くしの買いが入り、日経平均株価は上昇しました。2003年3月20日(木)、3月24日(月)と2日営業日連続して、窓を開けての上昇となりました。3月24日(月)に日経平均株価は終値で8,435.07円をつけ、3月17日(月)の終値と比べて7.1%高い水準まで株は買われました。

その後、日経平均株価は再びじりじりと下げたものの、ソニーショック(2003年4月25日)を境にして一転、それ以降は大きく上昇しました。この景気拡大局面は「いざなみ景気」として知られています。いざなみ景気はリーマン・ショックが起こる2008年まで継続した長期的な景気拡大期間です。

関連:イラク戦争前後の為替・株

為替は一旦、ドル高・円安へ

イラク戦争開戦で、為替は一旦ドル高・円安へ振れました。

イラク侵攻前日の2003年3月19日の為替レートは1ドル120.43円でしたが、イラク侵攻開始後に米ドルが買われドル高が進行、3月21日には1ドル121.87円をつける場面もありました。開戦は既に為替相場に織り込み済みであったため、材料出尽くしのドル買が入った様子です。

ただし、ドル高は長くは続きませんでした。暫くレンジ相場となった後、2003年9月20日のドバイG7共同声明によって、大きくドル安・円高へ振れる事になりました。

ダウ平均株価は上昇へ

軍事産業が盛んな米国では、この侵略戦争によって経済活動が活発になり、ダウ平均株価は上昇を始めました。

日経平均株価ソニーショック以降に上昇局面へ

米国の好況は日本にも波及しました。日本ではソニーショックでの株価下落を大底として、以降の日経平均株価上昇基調に入りました。2000年のインターネットバブルからの下落相場は、ソニーショックを境目に上昇相場に転換した形になりました。

日本銀行がマイナス金利導入を決定(2016年) その前後の日経平均株価チャート

2016年1月29日(金)に日本銀行が、マイナス金利の導入を決定しました。当時の日経平均株価チャートを作成・投稿します。

日経平均株価チャート

下図は、マイナス金利導入の決定前後の日経平均株価チャートです。マイナス金利の導入が決定された2016年1月29日(金)前後の範囲をプロットしました。

boj-negative-interest2016-n225

株価データ倉庫から元データを取得し、それを加工してチャートを作成しました。

マイナス金利導入決定

マイナス金利の導入が決定された1月29日の日経平均株価は、始値17,155.06円、高値17,638.93円、安値16,767.09円、終値17,518.3円となりました。高値から安値まで871.84円もある乱高下の相場となりました。

場中にマイナス金利が発表され、追加緩和と見た投資家が買い向かい、一時的に株価は高騰しました。ところがその後、マイナス金利が適用される範囲が部分的であり大きくはなく、政策の緩和効果が小さいと明らかになった事で、一転して株は売られました。

この日発表されたマイナス金利は?

この日、日銀から発表された内容は次の通りです。日銀は金融機関から預かっている当座預金の一部の金利をマイナスに引き下げる事を決めました。(当座預金の金利が一括してマイナス値になるわけではありませんでした。)日銀の金利は、基礎残高に対して0.1%・マクロ加算残高に対して0%・それ以外の部分に対してマイナス0.1%に設定される事が決まりました。

これらの区分の内訳・詳細は、下記のpdfファイルで閲覧できます。

翌営業日は高いも、その後は銀行株が売られて行く

翌営業日の2月1日の日経平均株価は、高値17,905.37円まで買われました。

その後は、マイナス金利による銀行の収益圧迫の懸念から、銀行株が売りを浴び、日経平均株価は下落を始めました。

原油価格主導相場へ

マイナス金利(緩和政策)の発表によるの株価への好影響は、長くは続きませんでした。その後、原油安に起因する世界的な株安を受け、日経平均株価も値を下げました。

原油安による株価下落

マイナス金利発表後、原油安に起因する円高などの外部要因が日本株の下落の要因となりました。

当時、先行きに不安を抱える投資家が、比較的安全な資産とされる円を買う動きを急速に強めていました。結果として約2週間で11円近い急激な円高が進んでいます。この円高による輸出企業の業績悪化の予測から、日本の主力株が売られました。

そして2月11日には銀行の信用不安を抱える欧州株式市場が総崩れしました。これらを受け、日経平均株価は2月12日には、安値14,865.77円をつけるに至りました。

株の下落率、ITバブル崩壊に迫る アベノミクス黄信号(朝日新聞DIGITAL) ※リンク切れ

原油高と押し目買い

その後、原油高と欧州・米国の株高や円安を受け、日経平均株価は上昇に転じます。割安と見た投資家の買い・買い戻しや、リバランス買いが更に株価を上昇させました。特に2016年2月15日は日経平均株価の反発・上昇の幅が大きく、前日比で1,069.97円高い16,022.58円が終値となりました。

ちなみに、この上昇幅は歴代14位にランキングされています。(2017年7月18日現在)

日経平均、一時1000円超上昇(朝日新聞DIGITAL) ※リンク切れ
上昇・下落記録(日経平均プロフィル)

東日本大震災(2011年)前後の日経平均株価チャート

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した大規模地震災害です。

この震災前後の日経平均株価チャートを作成しました。地震をはじめとする大規模災害は株価下落要因です。震災後に日経平均株価は急落し、震災前の3月10日と比べ、3営業日で2,361.87円安(22.3%安)になりました。

東日本大震災

東日本大震災は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震と、それに起因する津波被害、福島第一原子力発電所のメルトダウンによる放射能汚染等を総称する大規模災害です。

地震

地震は2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生しました。

この地震を東北地方太平洋沖地震と呼びます。東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0、最大震度7(宮城県栗原市)を記録し、観測史上最大の地震になりました。

津波

太平洋海底で発生した地震は、海水を押し上げる事で津波を引き起こしました。

津波は波高10mを超え、最大遡上高40.1mを記録する巨大津波となりました。震災による死者の90%以上は、この津波による水死です。

原発事故

津波は原発事故を招きました。

津波は東京電力福島第一原子力発電所を水没させ、電源喪失によりコントロールを失った事でメルトダウン・爆発しました。放射能汚染は広範囲におよびました。

被害

2017年3月10日の警視庁の発表によれば、死者は15,893人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,553人とされます。

日本政府は震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円としています。この値は、原発関係の被害を除いた数値です。

東日本大震災(wikipedia)

日経平均株価チャート

震災の当日・翌日以降

下図は東日本大震災前後の日経平均株価の推移です。

震災の5営業日前の2011年3月4日から25営業日後の2011年4月18日までをプロットしています。

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データは株価データ倉庫から取得しました。

震災当日

震災当日の2011年3月11日は、日経平均株価は10,298.64円で始まり、高値10,378.55を付けています。

その後2時46分の地震を受け売り優勢となり株価は下落、10,254.43円の安値引けとなりました。前日比179.95円安(-1.72%)です。

震災翌営業日

土日を挟み、地震と津波の被害が明らかになってきました。

これを受け、翌営業日の2011年3月14日(月)は、前日比で210.26円安の水準である10,044.17円から始まりました。その後福島第一原子力発電所の3号機がキノコ雲の発生を伴う大爆発をした事を受け、日経平均株価は下げ幅を拡大し、9,620.49円で引けました。前日比633.94円安(-6.18%)の暴落をしました。

震災翌翌営業日

更に翌3月15日(火)には4号機が爆発・炎上し、放射能汚染が広範囲に拡大しました。この日に東京都新宿区でも放射性物質の飛来が観測されました。これを受け日経平均株価は下げ幅を拡大し、安値8,227.63円をつけています。

この安値は、震災前3月10日終値と比べ、2,361.87円安(22.3%安)に相当します。わずか3営業日で日経平均株価はここまでの急落をしたわけです。地震をはじめとする大規模災害は株価下落要因です。

震災前後の主要経済イベント

下図は、広い時間軸での東日本大震災前後の日経平均株価の推移です。

75営業日前の2010年11月17日から、200営業日後の2012年1月4日までをプロットしています。

TohokuEarthquakeAndTsunami2011_3

震災前:2010年欧州ソブリン危機

東日本大震災の前の日経平均株価は堅調でした。

2010年欧州ソブリン危機は、危機状態を脱しつつあり、世界経済は回復基調となっていました。上記のチャートでも、震災直前の株価は上昇基調であった事が分かります。

震災後:米国債ショック

震災後の日本株の株価下落に、米国債ショックが追い打ちをかけました。

2011年8月5日にS&Pが米国債の格付けをAAAからAA+に格下げしました。これによりソブリン債の信頼性が揺らぎ、金融不安から世界各国の株価指数は下落しました。これを米国債ショック2011年)と呼びます。

震災と株価・経済

産業のサプライチェーンの分断と景気の悪化

東日本大震災は産業のサプライチェーンを分断し、日本経済に大きな悪影響を与えました。東北地方でしか作成されていなかった部品の供給が滞り、自動車メーカーを中心とする複雑な製品を作成する製造業者は生産能力を失い、業績を悪化させました。

複雑な製品の中には、東北地方でしか作成されず、代替が効かない部品が含まれる可能性が高かったからです。もちろんメーカー側は事前にリスク分散に気を遣っていました。ところが、3次下請け、4次下請けなどの下流において、共通部品の利用によるリスク分散が効果を失っていた事が発覚しました。

震災の影響は広範囲かつ長期におよびました。その結果、震災前までの景気の回復基調と明るい経済展望は一転してしまいました。そして、日経平均株価震災前日の10,500円には届かなくなります。

震災で上がった株

上記の通り多くの日本株は業績悪化が折り込まれ、株価が下がりました。その中で逆に暴騰した株もあります。

まず、多くの建設株は株価が上がりました。復興需要から業績向上が期待されたためです。銘柄によっては値がつかず、代わりに建設株ETFが、基準価額から上方乖離しながら、高値で買われる事態も起こりました。典型的な震災関連銘柄は、下記のリンクが詳しいです。

更に東日本大震災では原発に代わる発電の需要から、風力発電を中心とする新エネルギーに関わるテーマ株も上昇しました。

このように、東日本大震災後は建設株と代替エネルギー関連株の上昇が目立ちましたが、その他にも物資の需要増から多くの小売株のファンダメンタルズが向上しました。そしてこれらの小売株は地味に、長期的に値を上げました。

日経平均株価は上値抵抗線を形成

震災前終値である日経平均株価10,434.38円は、テクニカル分析における抵抗線になりました。震災以降、日経平均株価は何度かこの値を超える事を目指し、跳ね返されました。

具体的に、日経平均株価2011年5月2日に10,004.20円、7月8日に10,137.73円、7月22日に10,132.11円、2012年3月27日に10,255.15円をつけていますが、いずれもこの抵抗線を超えるには到りませんでした。

このように日経平均株価は低迷を続け、結局日経平均株価震災前終値を超えるのはアベノミクスバブル相場が始まった後、2013年1月4日の10,688.11円をつけるまで待つことになりました。

オプションの暴騰

日経平均株価の急激な値動きは、オプション市場において、プットオプション価格を数百倍へと暴騰させました。その結果、オプションの売り手の中から破産する者が続出しました。

また、証券会社も破産者の対応に追われる事になりました。例えば松井証券では、顧客の決済損に対する不足金が35億円発生しました。これは主に、オプションの売建によるものでした。

為替への影響

震災後、為替は乱高下しました。

震災前日の3月10日、1ドル82.97円でしたが、有事の円買いにより円高が進行しました。わずか1週間後の3月17日には、1ドル76.24円まで円高・ドル安が進みました。この短期間に6.73円(8.1%)という大きな変動幅で円高が進んだ計算になります。

ところがその後、日銀為替介入を始めとした円売り・円売りの思惑が優位となり、円安が進行しました。そして2011年4月6日には1ドル85.52円を記録しました。これは、3月17日の値と比較すれば、実に9.28円(12.2%)もの下落(円安)です。

世界の株価への影響

震災の影響は世界の経済活動の停滞をも意識させ、世界の株価へ少なからず悪影響を与えました。例えばダウ平均株価は震災後下落し、3月16日には11,555.48ドルをつけました。これは震災前と比べ、-3.6%の水準になります。

まとめ

東日本大震災は、地震・津波・放射能汚染により、製造業を中心に日本経済に大きな打撃を与えました。震災後に日経平均株価は急落し、震災前と比べ、3営業日で2,361.87円安(22.3%安)になりました。

その後日本経済は低迷を続け、震災前の日経平均株価終値10,434.38円は抵抗線になりました。この抵抗線は、2013年1月4日になり初めて突破されました。