フラッシュ・クラッシュ(2010年)前後のダウ平均株価チャート


2010年5月6日、わずか数分の間にダウ平均が1000ドル近く下落しました。この瞬間的大暴落はフラッシュ・クラッシュと呼ばれています。フラッシュ・クラッシュが起きた前後のダウ平均株価チャート(日足)を作成しましたので投稿します。

フラッシュ・クラッシュとは?

2時40分、ダウ平均株価は急落し始め、わずか数分の間に1000ドル近く下落、出来高は190億株に達した。当初、誤発注など様々な原因が指摘されたが、調査報告書では「複数の要因が重なったためであり未だ明らかではない」とされている。
NYSE(ニューヨーク証券取引所)およびナスダックの上場株の取引分散化がここ数年で急速に進んでおり、注文は最大50カ所に分散され、電子取引される。取引所の分散による大量注文、高速取引、アルゴリズム取引などの要因が組み合わさって起こった可能性が考えられている。

出典:フラッシュ・クラッシュとは(Hatena keyword)

ダウ平均株価チャート



元データを株価データ倉庫から取得し、チャートを作成、投稿しています。

フラッシュ・クラッシュの前日までの動き

上昇基調にあったダウ平均株価は4月12日以降にレンジ相場を形成し、11,100ドルを中心に±100ドル程度の比較的狭い範囲を動いていました。その後5月4日に下方へブレイクし、一時10,900ドルを割りました。フラッシュ・クラッシュの前日5月5日は、10,866.83ドルで引けました。

つまり、フラッシュ・クラッシュの前日には、買いが出尽くして上昇相場の終焉を示唆するチャートが形成されていました。

フラッシュ・クラッシュ当日

5月6日のダウ平均株価は、一時的に大暴落し、安値9,869.62ドルをつけました。これは前日比997ドル安(-9.17%)に相当します。売りが売りを呼び、パニック的な暴落となりました。ただしその後、相場は落ち着きを取り戻し急回復、終値は10,520.32ドルとなりました。

その後のダウ平均株価

その後のダウ平均株価は一時的に上昇局面に転じた日もありましたが、下落基調となりました。下落基調は2010年7月2日までのおよそ2カ月間続きました。この7月2日に、ダウ平均株価は9,614.32ドルをつける局面もありました。7月2日より後は、ダウ平均株価は上昇基調へと変化しました。


こうして振り返ってみればフラッシュ・クラッシュは、高値警戒感のある水準で発生した暴落であると言えます。

セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャート


2013年5月23日の株価大暴落は、セルインメイと呼ばれます。その前後の日経平均株価チャートを作成しました。

セルインメイ(2013年)とは?

概要

2013年5月23日に、明確な理由なく国内市場の株価が暴落しました。

当時アベノミクスの景気刺激策により株価は高値圏にありました。そこへ短期筋の国債先物と日経平均先物への同時売り仕掛けがありました。それを引き金に、アルゴリズムの暴走と個人投資家の狼狽売りが始まりました。

そして売りが売りを呼ぶ形で、株価は暴落しました。この出来事はセルインメイ(2013年)と呼ばれます。

別名

別名①:矢口ヤリーマンショック

セルインメイは、当時あまりに明確な原因が無かったため、当時話題となっていたタレント矢口真里の不倫騒動に関連して、矢口ヤリーマンショックと呼ばれる事があります。

矢口ヤリーマンショックは、「株やってる人たちの流行語大賞2013」にノミネートされました。

別名②:バーナンキ・ショック

現在ではこの暴落は、バーナンキFRB議長(当時)が量的緩和の縮小を示唆する発言があった事が原因であったと後講釈され、バーナンキ・ショックとも呼ばれます。

バーナンキ・ショックは、2013年5-6月に発生した、アメリカ合衆国の連邦準備制度理事会(FRB)の第14代議長を務めたベン・バーナンキの発言を引き金とした世界的な金融市場の混乱(動揺)をいいます。これは、2013年5月22日に、当時のバーナンキFRB議長が、今後幾度かの会合を経て、債券の購入ペースを徐々に減速することで量的緩和を縮小する可能性を示唆し、さらに2013年6月19日には、FRBが今年中に債券の購入金額を減額し、2014年半ばに完全に終了する可能性があるという一段の踏み込んだ発言をしたことにより、世界的な流動性懸念が生じ、新興国の通貨や株式などから資金が流出し、市場に大きな動揺をもたらしました。

出典:バーナンキ・ショック(iFinance)

日経平均株価チャート

下図は、セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャートです。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

セルインメイ前

セルインメイの前は、アベノミクスによる多くの景気刺激策が発表され、株価は一本調子に上昇していました。

値固めの少ない一本調子の株価上昇では、テクニカル指標における明確な支持線が形成されません。そのため、売り仕掛けが成功しやすい相場の地合いとなっていました。

セルインメイ当日

セルインメイ当日の2013年5月23日の日経平均株価は、前日比プラス圏でリーマンショック後最高値の15,739.98円で順調に始まりました。更に場中には前日比+315.34円(+2.02%)に相当する高値15,942.6円をつける局面もありました。

ところが途中から売り仕掛けが入り、パニック売りに発展し株価は暴落しました。結局この日、終値(かつ安値)が14,483.98円の安値引けになりました。この株価水準は前日比で1,143.28円安(-7.32%)に相当する大暴落です。

セルインメイ後

短期的な調整局面へ

セルインメイはそれまでの上昇トレンドを反転させました。セルインメイを境として、以降株価は下落を続け、6月13日には12,415.85円をつけるに到りました。

長期的な上昇トレンドは崩れず

セルインメイの後、好調な世界景気を背景として、株価は回復しました。つまり、結果的に長期的な上昇トレンドは崩れませんでした。

下図はセルインメイ前後の日経平均株価の長期チャートです。2013年7月18日にはセルインメイを発端とする調整局面のおよそ半値戻しに相当する高値14,827.73円をつけました。更に2013年12月24日には、セルインメイの当日の高値を超える16,029.65円をつける局面もあり、全値戻しを達成しました。

関連・その他

本来のSell in May

近年では5月に起きた大暴落をセルインメイと呼ぶ事が増えました。ですが、本来「セルインメイ」は異なる意味の投資格言です。

元の格言は「Sell in May and Go Away But Remember to Come Back in September. (5月に売って相場から離れよ。けれど9月に戻ってくる事を忘れるな。)」です。

5月から9月にかけての株価は低迷しやすいというアノマリーのため、5月に売ると良いと言われているのです。

売りが売りを呼んだ暴落

明確な理由なく売りが売りを呼んだ事が原因で暴落した相場は、セルインメイの他にブラックマンデー(1987年)や、ITバブルのフィナーレ暴落(2000年)が有名です。

ブラックマンデーでの暴落は、平成バブル景気の最高値に向かう過程での値固めとなり、絶好の押し目となりました。一方でITバブルのフィナーレ暴落では株価は元の水準には戻らず下落を続け、株価は2003年4月のITバブル崩壊の底値へと下がり続けました。

米国の政府閉鎖(2013年)前後の米ドル/円為替チャート


2013年10月に一部の米国政府機関が閉鎖された際の米ドル/円為替チャートを投稿します。

米国の政府閉鎖(2013年)

予算が成立しなかったため、2013年10月1日から10月16日にかけて、一部の政府機関が閉鎖されました。

2013年9月、医療保険改革法(いわゆるオバマケア)を巡って、下院で多数を占める共和党は支出増大を招くとして反対しているのに対し、上院で多数の民主党は内政の最重要課題であり変更には応じられないとして対立して予算が成立しなかったため、10月1日から一部政府機関の閉鎖となる事態が発生。2013年10月16日に上下両院で政府機関の再開を可能にする来年1月15日までの暫定予算が可決され10月17日より一部で閉鎖されていた政府機関が再開された。

出典:政府閉鎖(wikipedia)

政府閉鎖前後の米ドル/円為替チャート

米国で政治的混乱が起これば、有事の円買いが誘発される傾向にあります。政府機関の閉鎖の際もこの例外ではなく、閉鎖前の9月20日から10月8日にかけて、ほぼ一貫してドル安・円高が進行しました。最もドル安・円高が進行したのは10月8日で1ドル96.571円をつける局面もありました。

ただし、その後ドルは買い戻されました。政府閉鎖の最終日となった10月16日は98.751円で終えました。

米国の政府閉鎖(2013年)前後のダウ平均株価チャート


2013年10月に一部の米国政府機関が閉鎖された際のダウ平均株価チャートを投稿します。

米国の政府閉鎖(2013年)

予算が成立しなかったため、2013年10月1日から10月16日にかけて、一部の政府機関が閉鎖されました。

2013年9月、医療保険改革法(いわゆるオバマケア)を巡って、下院で多数を占める共和党は支出増大を招くとして反対しているのに対し、上院で多数の民主党は内政の最重要課題であり変更には応じられないとして対立して予算が成立しなかったため、10月1日から一部政府機関の閉鎖となる事態が発生。2013年10月16日に上下両院で政府機関の再開を可能にする来年1月15日までの暫定予算が可決され10月17日より一部で閉鎖されていた政府機関が再開された。

出典:政府閉鎖(wikipedia)

政府閉鎖前後のダウ平均株価チャート

政府閉鎖が始まるより前に、ある程度の株価下落が始まっていました。9月19日から9月30日にかけて陽線は1本のみです。9月18日の終値15,676.94ドルから9月30日の終値15,129.67ドルまで、ダウ平均株価は-3.49%の下落をしていました。

政府閉鎖が始まった後も引き続き株価は下落し、10月9日に安値14,719.43ドルを付けました。ただし、その後は株価は回復に向かいました。そして政府閉鎖最終日の10月16日には終値15,373.83ドルを付けるなど、かなりの水準まで株価は回復しました。

平成バブル景気(1986年12月~1991年2月)前後の日経平均株価チャート


平成バブル景気(1986年12月~1991年2月)前後の日経平均株価チャートを作成しました。

平成バブル景気とは?

1986年12月から1991年2月にかけてのバブル景気を、平成バブル景気と呼びます。

平成バブル景気の発生と崩壊

平成バブル景気の始まる前、プラザ合意(1985年9月22日)によって円高が進行していました。円高は輸入品の値段を引き下げ、物価が安くなっていました。また円高は輸出産業の苦戦も招きました。この不況は円高不況と呼ばれています。円高不況の対応のために日本銀行は緩和政策を続け、利上げや景気引き締めが遅れました。

日本銀行の不必要な緩和政策が続けられた結果、そこで余ったお金が株と不動産に向かい、空前のバブル景気が起こりました。株や不動産の価値が高騰を続け、「必ず上がる」という神話が囁かれていました。

平成バブル景気で日経平均株価は史上最高値38,957.44円(1989年12月29日)をつけました。その後神話と株価は崩壊し、日本経済は長い低迷期に入りました。

景気循環と平成バブル景気

平成バブル景気の前後の景気循環を下表にまとめます。円高不況の対応のため、日銀が緩和政策を継続した事が平成バブル景気を招き、そしてこのバブルの崩壊は第一次平成不況を招きました。

時期 名前 景気循環 備考
1985年7月~1986年11月 円高不況 第10循環(後退期) プラザ合意をきっかけとした円高による不況
1986年12月~1991年2月 平成バブル景気 第11循環(拡張期) 空前のバブル景気
1991年3月~1993年10月 第一次平成不況 第11循環(後退期) バブル崩壊後の失われた30年の始まり
景気基準日付(内閣府)

平成バブル景気前後の日経平均株価チャート

平成バブル景気前後の日経平均株価チャートを以下に示します。チャートは日足で終値ベースです。株価データ倉庫から元データを取得し、加工した上で投稿しました。

日経平均株価2万円→2万5000円

平成バブル景気の始まりとされる1986年12月1日、日経平均株価は18,339円で始まりました。その後、日経平均株価の終値は1987年1月30日に初めて20,000円を突破した20,048円をつけました。1987年6月3日には25,000円を突破した終値25,049円をつけました。

日経平均株価は2万円から2万5000円になるまで、わずか4カ月と数日の短時間であったわけです。

ブラックマンデーの暴落と3万円到達

この株価高騰の後、ブラックマンデーによる一時的な暴落(1987年10月20日)がありました。ブラックマンデーでは日経平均株価は前日比で3,837円安(-14.9% )となり、歴史に残る暴落となりました。ところが株価はその後、再び上昇基調になりました。更に、ブラックマンデー前の水準を回復した後は、少々の下げでは押し目買いが入るようになりました。

そして株価の上昇基調は続き、1988年12月7日には30,000円を突破した終値30,051円をつけました。

3万円5千円到達と史上最高値

日経平均株価は1989年8月16に35,000円を超え、終値35,084円を付けました。その後1989年12月29日に史上最高値38,957.44円をつけるに至りました。

日経平均株価は20,000円を突破した1987年1月30日から、3年も経たない内にほぼ2倍にまで高騰した事になります。このように、短期間かつ勢いのある株価高騰はバブル景気の特徴です。

ITバブルのフィナーレ暴落(2000年) 当時の日経平均株価チャート


インターネット関連企業が注目され、株価が高騰したITバブル(インターネットバブル)は、2000年に崩壊を始めました。特に2000年4月17日(月)の日経平均株価は前日比6.98%安の暴落となり、この日の暴落は「ITバブルのフィナーレ暴落」と呼ばれています。

その当時の日経平均株価のチャートを作成しました。

2000年4月17日前後の日経平均株価チャート

2000年4月17日(月)は、ITバブルのフィナーレと言える暴落です。下図は、4月17日(月)前後の日経平均株価チャートです。

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チャート作成の元データは株価データ倉庫から取得しました。

暴落の3営業日前がITバブル最高値

フィナーレ暴落の3営業日前が日経平均株価のピークでした。

2000年4月12日に日経平均株価は終値(かつ高値)20,833.21円をつけました。この20,833.21円という値は、ITバブルでの日経平均株価の最高値となりました。

NYダウの急落を受け、売りが売りを呼び暴落

フィナーレ暴落前日のNYダウの急落(617.78ドル安)を受け、2000年4月17日の日経平均株価は寄り付きから崩れました。前日比で1,426.04円安(6.98%安)の暴落となりました。

上記チャートの通り、暴落前は順調な上昇局面でしたが、この日を境に株価は下落トレンドに入りました。

詳細は下記のリンク先が詳しいです。

相場急落の恐れがあるとき(平均株価研究会)

この暴落は、高値圏での売り仕掛けの成功と言える暴落でした。売りが売りを呼んだタイプの暴落と言えそうです。

日経平均構成銘柄の大幅変更の寄与

なお、日経平均株価の構成銘柄大幅変更(30銘柄入れ替え)が4月15日(土)に発表され、4月24日に実施されています。入れ替えを受け、指数から除外される銘柄に売りが集中した事は、日経平均株価下落要因と言えます。

日経平均株価チャート②(長期チャート)

下図は前述のチャートよりも長期のチャートです。順調に上昇し、4月17日に突如暴落し、下落トレンドに入った様子がうかがえます。

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2000年をピークにインターネット・バブルは崩壊しました。その後も日経平均株価は下落を続け、半値以下の水準まで売り込まれました。そしてソニーショック翌営業日である2003年4月28日に、日経平均株価は1982年以来の最安値7603.76円をつけるに到りました。

関連・余談

ダウ平均株価の急落の理由

日経平均株価の暴落の発端となった4月14日(金)のダウ平均株価の暴落には、明確なネガティブ・サプライズがありませんでした。強いて言えば、消費者物価指数(CPI)が良く、利上げの警戒売りと利益確定の売りが売りを呼び暴落となったと説明されます。

14日に発表された米国の消費者物価指数(CPI)が市場予想を上回ったことで、米連邦準備制度理事会(FRB)が今後行うとみられる利上げの幅が拡大すると警戒されたことから、同日のニューヨーク株式市場は大荒れ。ダウ平均株価は617.78米ドル、ナスダックは355.49ポイントと、それぞれ過去最大の下げ幅で取引を終えた。

出典:週明けの香港株式、NY暴落ショックで大幅安か(アジア経済ニュース 2000/04/17(月))

ITバブル崩壊後のNASDAQ指数

ITバブル崩壊で日経平均株価は大きく下げましたが、米国のNASDAQ総合指数は更に大きく下げました。

インターネット・バブルの最盛期である2000年3月10日、NASDAQ総合指数は5,132.52ポイントをつけました。その後バブルの崩壊と共に指数は下がり続け、2002年10月10日に1,108.49ポイントをつけるまで下落しました。78%以上の下落に相当します。

ブラックマンデー(1987年) 日経平均株価はどう暴落したか?その後どうなったか?


ブラックマンデー(1987年)に日経平均株価は歴史的な大暴落をしました。

前日の米国株の大暴落を受け、1987年10月20日の日経平均株価の終値は21,910円まで下げました。これは前日比で3,837円も安い水準です。比率にすれば-14.9% もの大暴落となりました。

ブラックマンデー

ブラックマンデーとは?

1987年10月19日(月)に、米国ニューヨーク株式市場に起こった暴落を発端とする世界同時株安をブラックマンデー(Black Monday)と呼びます。

ダウ平均の暴落

1987年10月19日(月)のダウ平均株価は、前の営業日比で508ドル安、22.6%という下げ幅を記録する大暴落となりました。

この株安は世界各国に連鎖しました。

日本では火曜日に暴落

日本では1987年10月20日(火)に、日経平均株価が前日比で3,837円安(-14.9% )となりました。つまり世界同時株安にはブラックマンデーと名前がついていますが、日本での暴落は火曜日に起こりました。

当時の日経平均株価チャート

下図はブラックマンデー前後の日経平均株価の推移です。

一番目立つ1987年10月20日(火)の大陰線がブラックマンデーの際の株価です。チャートはブラックマンデーの前後、1987年10月13日(5営業日前)から11月24日(25営業日後)の期間をプロットしています。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

ブラックマンデーでの日経平均株価大暴落

1987年10月20日の始値は、高値と等しく25,745円です。終値は安値と等しく21,910円です。場中に3,835円を下げる大暴落となりました。

チャートのロウソク足は髭を形成せず、陰の丸坊主となりました。

特大の暴落では大陰線

多くの場合、特大の暴落では日経平均株価のチャートは窓を開けず、場中に下がり陰線になります。

これは買い注文があまりに少なく、最初に値が付かない銘柄があるためにそう見えます。ちなみに日経平均先物チャートは、始値から豪快に下がります。

ブラックマンデーはどうして起こったか?

明確な理由の有る暴落・無い暴落

ブラックマンデーは、明確なネガティブ・サプライズなしに起こりました。この点において、他の多くの暴落相場とは異なります。

理由が明確な暴落

例えばリーマン・ショック(2008年)の暴落は、政府に救済されると予想されていたリーマン・ブラザーズが、救済されない事に決まったために起こりました。また、Brexitショック(2016年)の暴落は、EUに残留されると予想されていた英国がEU離脱を決めたために起こりました。

このように、一般的に株価大暴落には理由がある事が多いです。その一方で、ブラックマンデーの暴落は明確な理由が無い突然の暴落でした。

売りが売りを呼んだ、明確な理由のない暴落

ブラックマンデーは、「売りが売りを呼ぶ」事で暴落しました。

パニックになった投資家が売り注文を出して株価が暴落したため、他の投資家がパニックになり投げ売りの注文を出す構造です。相場は明確なネガティブ・サプライズ無しに下落する事があります。ブラックマンデーのように、明確な理由なく暴落した例としては、近年ではITバブルのフィナーレ暴落(2000年) やセルインメイ(2013年)があります。いずれの暴落も、高値圏にあった株価が利益確定売りとパニック売りにより急落した構造になっています。

米国ではアルゴリズム売買も一因

ブラックマンデーの株価大暴落の発端となった米国では、コンピューターによる売買アルゴリズムが、損失を限定するために手仕舞い売り注文を出し、これが連鎖したとも言われています。

なお日本の東証へのコンピューターの導入は1990年の11月であり、ブラックマンデーの後の出来事になります。

ダウ平均株価が22.6%下げたのに対して、日経平均株価の下落が14.9%に留まった理由の1つとして、東証の売買システムが未熟であったため、不器用なアルゴリズムによる売り注文が入る余地が無かった事が挙げられます。

立会場の歴史(東京証券取引所)

時代背景

1985年にプラザ合意が結ばれ、ドル高の抑制(ドル安への介入)が行われた結果、ドル安に歯止めがかからなくなりました。

このドル安を受け、1987年2月22日にドル高に誘導するためのルーブル合意が結ばれましたが、9月に西ドイツはアメリカの反対を振り切って、ドイツマルクが上昇しているにもかかわらず金利を引き上げました。そのため政策協調の信頼性は損なわれ、米国株を始めとするドル資産を売却して好景気な国の高金利通貨を購入する流れができる可能性が考えられました。

また、逆にドル防衛のためにFRBが大幅に金利を引き上げるのではないかとも言われていました。金利を引き上げれば通貨高となりますが、景気を冷やします。ブラックマンデーの2ヶ月前にFRB議長職がポール・ボルカーからアラン・グリーンスパンへ引き継がれていたことも、金利政策の不安を増長させました。

高金利通貨へのマネーの流れが出来ても、FRBが利上げをしても、いずれにしても米国株安に繋がります。この不安が市場に台頭し、相場は不安定な状況になっていたようです。このように、きっかけさえあれば売りを仕掛ける素地はあったわけです。

ブラックマンデー(Hatena Keyword)

ブラックマンデー後に、日本の株価はどう推移したか?

その後の日経平均株価チャート

下図は1986年10月20日前後の日経平均株価チャートです。ブラックマンデーの前後、1987年7月14日(75営業日前)から1988年7月19日(200営業日後)までをプロットしています。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

再び株価上昇基調へ

ブラックマンデーの後、日経平均株価は下げ止まり、1988年1月以降に再び強い上昇基調となりました。

そして1988年6月17日には、ブラックマンデーの終値比で29.6%も高い28,395円を付けています。

その後も日本株は好調を維持しました。

日本ではルーブル合意後、米国のドル安への配慮から利上げが遅れていました。そのため株価や不動産価格が暴騰しました。そして日経平均株価は史上最高値である38,957.44円(1989年12月29日)をつけるに到りました。この相場は平成バブル景気と呼ばれています。