1985年のプラザ合意後に、円高・ドル安が進行し、わずか2年半の間に円の価値は2倍になりました。当時の為替チャートを作成しましたので投稿します。
プラザ合意とは?
プラザ合意(プラザごうい、英: Plaza Accord)は為替レート安定化に関するG5(日米英仏独)の合意です。円高・ドル安を誘導する内容で、1985年9月22日に発表されました。
プラザ合意(Wikipedia)
プラザ合意前後の為替
チャート
下図は、プラザ合意前後の為替チャートです。
横軸は西暦、縦軸は米ドル・円の為替レートです。1985年9月以降、崖崩れのように急激な円高が進行した様子が見て取れます。
元データは株価データ倉庫から取得しました。
ドル安・円高
プラザ合意の直前・直後
プラザ合意直後に、急激に円高・ドル安が進みました。
プラザ合意前の1985年9月20日は、240.09円でした。合意後は231.89円となり、8.2円(3.4%)の円高・ドル安が進みました。
その後の円高
ドル安・円高は、その後も止まりませんでした。
極端なドル安を止めるために、1987年2月22日にはルーブル合意が発表されましたが、効果はなく、更なる円高が進みました。
ルーブル合意(iFinance)
1987年12月31日には1ドル121.25円を付け、プラザ合意前の240.09円と比べ、円の価値は2倍になりました。わずか2年半の期間での急騰です。
円高が招いた不況と平成バブル景気
強力な円高は、円高不況と産業の空洞化を招きました。これを受けて日本銀行は金融緩和政策を続けました。そうはいうものの、強い円によって購買力が高まり、海外のモノ・サービスが流入したため、物価は上がりませんでした。
そのため日本銀行は金融緩和政策を継続しました。そこで余ったお金によって、株と不動産の価格は暴騰しました。これが平成バブルです。平成バブルの絶頂期である1989年12月29日に、日経平均株価は史上最高値38,957.44円を付けました。