スペイン風邪流行時(1918〜1919年)のダウ平均株価チャート


スペイン風邪(スペインインフルエンザ)は1918年〜1919年に世界的大流行をしました。世界人口の3分の1の人が感染し、死亡したのは4,000万人とも5,000万人とも言われています。その当時のダウ平均株価チャートを作成してみました。結論から述べると、インフレや第一次世界大戦からの復興需要もあり、株価の下落はありませんでした。

スペイン風邪

スペイン風邪の患者数と死亡者数、致死率

第一次世界大戦中の1918年に始まったスペインインフルエンザのパンデミック(俗に「スペインかぜ」と呼ばれる)は、被害の大きさできわだっています。世界的な患者数、死亡者数についての推定は難しいのですが、患者数は世界人口の25-30%(WHO)、あるいは、世界人口の3分の1(Frost WH,1920)、約5億人(Clark E.1942.)で、致死率(感染して病気になった場合に死亡する確率)は2.5%以上(Marks G, Beatty WK, 1976; Rosenau MJ, Last JM, 1980.)、死亡者数は全世界で 4,000万人(WHO)、5,000万人(Crosby A, 1989; Patterson KD, Pyle GF, 1991; Johnson NPAS, Mueller J, 2002.)、一説には1億人(Johnson NPAS, Mueller J, 2002.)ともいわれています。日本の内務省統計では日本で約2300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されていますが、歴史人口学的手法を用いた死亡45 万人(速水、2006.)という推計もあります。

インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A(2006.12改訂版) 国立感染症研究所感染症情報センター

スペイン風邪は世界的大流行しました。感染者数はおよそ世界の3分の1の人で、感染者の致死率は2.5%以上とされます。致死率が小さいため、軽症の人が病気を拡散し、死ななかった患者が医療リソースを占領し混乱に拍車をかけたと推察できます。

スペイン風邪の時系列(一波・二波・三波)

スペインフルの第一波は1918年の3月に米国とヨーロッパにて始まりますが、この(北半球の)春と夏に発生した第一波は感染性は高かったものの、特に致死性ではなかったとされています。しかしながら、(北半球の)晩秋からフランス、シエラレオネ、米国で同時に始まった第二波は10倍の致死率となり、しかも15~35歳の健康な若年者層においてもっとも多くの死がみられ、死亡例の99%が65歳以下の若い年齢層に発生したという、過去にも、またそれ以降にも例のみられない現象が確認されています。また、これに引き続いて、(北半球の)冬である1919年の始めに第三波が起こっており、一年のタイムスパンで3 回の流行がみられたことになります。これらの原因については多くの議論がありますが、これらの原因については残念ながらよくわかっていません。

インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A(2006.12改訂版) 国立感染症研究所感染症情報センター

スペイン風邪には、第一波、二波、三波の3回の流行がありました。第二波の致死率は一波の10倍である事から、ウイルスが変異し、もしくは別のウイルスが拡散したのかも知れません。いずれにしてもパンデミックにおいて第一波があるという事は、感染者が広がる社会システムが存在しているため、続く第二波、第三波にも警戒する必要がありそうです。

ダウ平均株価チャート

スペイン風邪のダウ平均株価への影響は軽微

下図がスペイン風邪流行時のダウ平均株価チャートです。点が終値、赤の破線が5日移動平均線です。

ダウ平均株価において、スペイン風邪の一波・二波・三波の面影はどこにもありません。第一次世界大戦(1914年7月28日〜1918年11月11日)からの復興需要があり、また、現代と比べて金融システムが単純だったため金融商品の危機が芋づる式に連鎖し金融危機に到る事もなかったのでしょう。

インフレを加味すれば、株価上昇幅は小さい

むしろスペイン風邪で株価は上がっている、と思うかも知れませんが、実は実質的な株価上昇ではありません。この時代は、第一次世界大戦によって世界的に物価が上がっており、年率20%に達する事もあるくらいでした。インフレで通貨の価値は薄まりますので、それを加味すれば大した株価上昇ではありません。

参考までに、下に、GDP成長率とインフレ率の5カ国比較を掲載します。

出典:物価と景気変動に関する歴史的考察 日本銀行金融研究所 金融研究 2002.3

リーマン・ショック(2008年)の株安はどれくらいの期間継続したか?


2008年9月15日(月)に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻しました。同社の社債や投資信託の価値毀損は金融危機を招き、世界各国の株安・債券安が進行しました。この一連の世界的な金融危機は、リーマン・ショックと呼ばれています。

リーマン・ショック時は、暴落と暴騰を繰り返すパニック相場は1〜2ヶ月で収束しましたが、景気後退に伴う株安は、1年半程度続きました。リーマン・ショックで株安がどのような期間に、どの程度進んだのか、チャートとともに解説を投稿します。

リーマン・ブラザーズ破綻から大底まで

ダウ平均株価

ダウ平均株価は、リーマン・ブラザーズの破綻した2008年9月15日から、半月を経た10月に、記録的な暴騰・暴落を繰り返すパニック相場に突入しました。この暴騰・暴落局面は2ヶ月後の12月には収束し、市場は一旦落ち着きを取り戻しますが、株安は2009年3月6日に6,469ドルをつけるまで止まりませんでした。リーマン・ブラザーズの破綻後、6ヶ月間、株安が続いた事になります。

日経平均株価

日経平均株価の急激な暴落局面は、ダウ平均株価同様に、リーマン・ブラザーズの破綻の半月後、2008年10月に訪れました。日経平均株価は10月28日に6,994円をつけて以降は一旦下げ止まる形になりました。

長期チャート

サブプライムローン問題が顕在化した事により、リーマン・ブラザーズ破綻前から、株安は進行していました。長期チャートでも株安の状況を確認してみます。

ダウ平均株価

ダウ平均株価は、2007年10月11日に14,198ドルをつけましたが、2009年3月6日に6,469ドルをつけるまで下落しました。株価のピークから1年と5ヶ月間下がり続け、半値以下になりました。

日経平均株価

日経平均株価は、2007年2月26日に18,300円をつけましたが、2008年10月28日には6,994円になりました。株安は1年と8ヶ月間続きました。

まとめ

2008年9月15日(月)にリーマン・ブラザーズが破綻し、その半月後に、暴落と暴騰を繰り返すパニック相場が訪れました。この局面は1〜2ヶ月で収束しました。ただし、景気後退に伴う株安はリーマン・ブラザーズの破綻前から進んでおり、株安トレンドは1年半程度継続しました。

ブラックマンデー(1987年)前後のダウ平均株価チャート


1987年10月19日(月)に、米国ニューヨーク株式市場に起こった過去最大規模の暴落をブラックマンデー(Black Monday)と呼びます。

当時のダウ平均株価チャートを作成しました。

ブラックマンデー前後のダウ平均株価チャート

ブラックマンデーは明確なネガティブサプライズなしに、売りが売りを呼んだ事で、株価が暴落しました。



チャート作成の元データは株価データ倉庫から取得しました。

前日比-22.6%の大暴落

1987年10月19日(月)のダウ平均株価は、前の営業日比で507.99ドル安(-22.6%)という下げ幅を記録する大暴落となりました。翌20日には安値1,616.21ドルをつけており、ブラックマンデー前10月16日の終値と比べて-28.1%の水準です。短い時間に大きく売られた事が分かります。

米国の株価大暴落は世界へ波及

ニューヨーク株式市場の暴落は、世界各国の株式市場へと波及しました。

日本の株式市場は1987年10月20日(火)に暴落しました。この日の日経平均株価の始値は、高値と等しく25,745円です。終値は安値と等しく21,910円です。チャートは陰の丸坊主を形成し、場中に3,835円を下げる大暴落となりました。前日比では3,837円安(-14.9% )の暴落でした。

その後

ブラックマンデーの後、ダウ平均株価は下げ止まり緩やかな上昇基調となりました。ただしブラックマンデーによるダウ平均株価の下落幅があまりに大きかったために、元の水準(ブラックマンデーの前日の終値2246.73ドル)に戻るのは1989年1月24日に終値2256.43ドルをつけるまで待たされることになりました。

フラッシュ・クラッシュ(2010年)前後のダウ平均株価チャート


2010年5月6日、わずか数分の間にダウ平均が1000ドル近く下落しました。この瞬間的大暴落はフラッシュ・クラッシュと呼ばれています。フラッシュ・クラッシュが起きた前後のダウ平均株価チャート(日足)を作成しましたので投稿します。

フラッシュ・クラッシュとは?

2時40分、ダウ平均株価は急落し始め、わずか数分の間に1000ドル近く下落、出来高は190億株に達した。当初、誤発注など様々な原因が指摘されたが、調査報告書では「複数の要因が重なったためであり未だ明らかではない」とされている。
NYSE(ニューヨーク証券取引所)およびナスダックの上場株の取引分散化がここ数年で急速に進んでおり、注文は最大50カ所に分散され、電子取引される。取引所の分散による大量注文、高速取引、アルゴリズム取引などの要因が組み合わさって起こった可能性が考えられている。

出典:フラッシュ・クラッシュとは(Hatena keyword)

ダウ平均株価チャート



元データを株価データ倉庫から取得し、チャートを作成、投稿しています。

フラッシュ・クラッシュの前日までの動き

上昇基調にあったダウ平均株価は4月12日以降にレンジ相場を形成し、11,100ドルを中心に±100ドル程度の比較的狭い範囲を動いていました。その後5月4日に下方へブレイクし、一時10,900ドルを割りました。フラッシュ・クラッシュの前日5月5日は、10,866.83ドルで引けました。

つまり、フラッシュ・クラッシュの前日には、買いが出尽くして上昇相場の終焉を示唆するチャートが形成されていました。

フラッシュ・クラッシュ当日

5月6日のダウ平均株価は、一時的に大暴落し、安値9,869.62ドルをつけました。これは前日比997ドル安(-9.17%)に相当します。売りが売りを呼び、パニック的な暴落となりました。ただしその後、相場は落ち着きを取り戻し急回復、終値は10,520.32ドルとなりました。

その後のダウ平均株価

その後のダウ平均株価は一時的に上昇局面に転じた日もありましたが、下落基調となりました。下落基調は2010年7月2日までのおよそ2カ月間続きました。この7月2日に、ダウ平均株価は9,614.32ドルをつける局面もありました。7月2日より後は、ダウ平均株価は上昇基調へと変化しました。


こうして振り返ってみればフラッシュ・クラッシュは、高値警戒感のある水準で発生した暴落であると言えます。

米国の政府閉鎖(2013年)前後のダウ平均株価チャート


2013年10月に一部の米国政府機関が閉鎖された際のダウ平均株価チャートを投稿します。

米国の政府閉鎖(2013年)

予算が成立しなかったため、2013年10月1日から10月16日にかけて、一部の政府機関が閉鎖されました。

2013年9月、医療保険改革法(いわゆるオバマケア)を巡って、下院で多数を占める共和党は支出増大を招くとして反対しているのに対し、上院で多数の民主党は内政の最重要課題であり変更には応じられないとして対立して予算が成立しなかったため、10月1日から一部政府機関の閉鎖となる事態が発生。2013年10月16日に上下両院で政府機関の再開を可能にする来年1月15日までの暫定予算が可決され10月17日より一部で閉鎖されていた政府機関が再開された。

出典:政府閉鎖(wikipedia)

政府閉鎖前後のダウ平均株価チャート

政府閉鎖が始まるより前に、ある程度の株価下落が始まっていました。9月19日から9月30日にかけて陽線は1本のみです。9月18日の終値15,676.94ドルから9月30日の終値15,129.67ドルまで、ダウ平均株価は-3.49%の下落をしていました。

政府閉鎖が始まった後も引き続き株価は下落し、10月9日に安値14,719.43ドルを付けました。ただし、その後は株価は回復に向かいました。そして政府閉鎖最終日の10月16日には終値15,373.83ドルを付けるなど、かなりの水準まで株価は回復しました。

Brexit(2016年)前後のダウ平均株価チャート


2016/6/23(木)に実施された英国の国民投票により、英国のEU離脱(Brexit)が決まりました。

これにより欧州延いては世界の経済の混乱と停滞が予想され、世界各国の株価が下落しました。米国株も例外でなく、ダウ平均株価は前日比-3.39%の大幅安になりました。当時の様子とダウ平均株価チャートを投稿します。


6月13日(月)から6月17日(金)にかけては、選挙結果に関する懸念(Brexitによる世界経済の混乱の予想)から、ダウ平均株価は安値圏で推移しました。
6月20日(月)から6月23日(木)にかけては、ブックメーカー(賭け業者)の倍率からEU残留の確率が高いと予想され、ダウ平均株価は買い戻されていました。

そして6月24日(金)に、結局Brexitをする事が明らかになり、ダウ平均株価は前日比610.32ドル安(-3.39%)と大きく売られました。

ただしその翌週、ダウ平均株価は大きく買い戻され、7月1日(金)にはほぼ回復するに至りました。米国はBrexitの影響を最も受けなかった国の1つだと言えます。

米国は震源地の英国から比較的離れており、また日本のようにリスク回避的円買いによる輸出企業の業績悪化もありませんでしたので、Brexitによる影響が最小限に留まったと言われています。

なお、7月8日(金)には米雇用統計が発表されました。結果は良好でした。この日を境に米国株そして世界の株が上昇基調へと変わりました。

BNPパリバ・ショック(2007年)前後のダウ平均株価チャート


パリバ・ショックとは?

2007年8月9日、BNPパリバ傘下のミューチュアル・ファンドが投資家からの解約を凍結すると発表しました。これにより、米住宅バブル崩壊で値崩れしつつあったサブプライムローン関連の証券化商品が危機的状況であると世界中に知れ渡りました。

そして信用不安が台頭し、市場は混乱状態になりました。この騒動はBNPパリバ・ショックと呼ばれています。

パリバ・ショックとダウ平均株価

サブプライムローン関連の証券化商品が危機的状況である事が分かり、世界中でリスクオフの動きが進みました。米国も例外ではなく、ダウ平均株価は大きく下落する事になりました。下図は当時のダウ平均株価チャートです。



元データは株価データ倉庫のリンクから取得し、チャートへと加工し投稿しています。

ミューチュアル・ファンドの解約が凍結される前日、2007年8月8日のダウ平均株価の終値は13,657.86ドルでした。そこから信用不安が台頭し、2007年8月16日には一時12,517.94ドルまで下落しました。凍結前と比べて1139.92ドル安(8.3%安)に相当します。

小康状態を経てリーマン・ショックへ

パリバ・ショックの後、市場は一時的に落ち着きを取り戻し小康状態となりました。2007年10月11日には、ダウ平均株価は一時14,198.09ドルをつけるまで上昇しました。ただしこの時、サブプライム問題の深刻性はまだ十分に認識されていませんでした。

その後はサブプライム問題が表面化し、2008年3月の米大手証券のベアー・スターンズの経営危機、2008年9月にリーマン・ブラザーズの破綻が引き起こされました。ダウ平均株価は下落を続け、2009年3月6日に6469.95ドルをつけるに至りました。つまり2007年BNPパリバ・ショック時のダウ平均株価は結局、リーマン・ショック後の2009年には半値以下の水準にまで下落したわけです。