リーマン・ショック(2008年)前後の日経平均株価チャート なぜ暴落したか?どう暴落したか?


リーマン・ショックは、2008年に発生した世界的な金融危機です。

2008年9月15日(月)に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻しました。同社の社債や投資信託の価値毀損は金融危機を招き、世界各国の株安・債券安が進行しました。

リーマン・ショックでは、他国の株と同様に、日本株も大きく売られました。当時の動向を確認するために、リーマン・ショック前後の日経平均株価のチャートを作成しました。チャートを参照しながら、金融危機での出来事を振り返ります。

リーマン・ショックとは?

サブプライムローン危機により不良債権を抱えた米国のリーマン・ブラザーズは、2008年9月15日(月)に破綻しました。この破綻は、世界的な金融危機を招きました。

背景:サブプライムローン危機

2007年の米国の住宅バブル崩壊により、サブプライムローンと呼ばれる金融商品の不良債権化が進行しました。

2007年8月には、BNPパリバ傘下のミューチュアル・ファンドが投資家からの解約を凍結すると発表しました。これにより、サブプライムローン関連の証券化商品が危機的状況であると世界中に知れ渡り、株安と円高を招きました。この騒動はパリバ・ショックと呼ばれています。

リーマン・ブラザーズもサブプライムローン関連の不良債権を多く保有しており、多大な損失が進行していました。

リーマン・ブラザーズの破綻前

2008年6月には、金融危機の足音は確実に近づいていました。日経平均株価は6月19日(木)以降じりじりと下げ続け、54年2カ月ぶりの12営業日続落を記録しました。

その直後、2008年7月11日(金)には米インディマック銀行(現在:ワンウエスト銀行)が破綻しました。破綻は大規模で、その当時、史上4番目の規模、貯蓄金融機関としては史上2番目の規模でした。

リーマン・ブラザーズは売却交渉を行うも失敗

リーマン破綻直前、リーマン・ブラザーズは複数の金融機関と売却の交渉(身売り交渉)を行っていました。ですが、巨額で不透明な損失が見込まれるために断られていました。

2008年9月3日(水)に韓国産業銀行(KDB)がリーマン・ブラザーズへ出資をすると発表しました。ところが、9月10日(水)になって一転、KDB側が出資協議を打ち切りました。

リーマン・ブラザーズの破綻

2008年9月15日(月)に、リーマン・ブラザーズが破綻しました。

負債総額は約6,000億ドル(64兆円)と言われており、史上最大の倒産になりました。

世界的な金融危機へ

リーマン・ブラザーズの破綻の影響は全世界に連鎖し、世界的な金融危機に発展しました。具体的には、リーマン・ブラザーズが発行している社債や投資信託を保有している企業への影響、取引先への波及と連鎖が懸念され、世界各国の株安・債券安が進行した結果、未曽有の金融危機となりました。

日経平均株価チャート

リーマン・ブラザーズの破綻前後

下図は、リーマン・ブラザーズの破綻(2008年9月15日(月))前後の日経平均株価チャートです。

2008年9月8日(月)から2008年10月23日(木)にかけての株価推移をプロットしています。赤い矢印で目印を付けた個所が、破綻の翌営業日である9月16日(火)のローソク足です。

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データは株価データ倉庫から取得しました。

翌営業日 9月16日(火)

リーマン・ブラザーズの破綻の翌日である9月16日(火)の日経平均株価は11,609.72円で引けました。前日比-605.04円(-4.95%)という比較的大きな下げとなりました。

これほどの下げにもかかわらず、上記チャートにおいて9月16日(火)の大陰線は、あまり目立っていません。日経平均株価は10月に歴史的な大暴落が多数あるために、そちらの方がどうしても目立ってしまいます。

2008年の高値は、1月4日(金)につけた15,156.66円ですので、リーマン・ブラザーズ破綻の翌日の時点で、年間高値からは3546.94円安(30.55%安)というかなり低い水準になっていました。

これほどの割安水準ですので、逆張り投資家の買いが入っても良さそうでしたが、株価は下げ止まりませんでした。その後もオシレーター系のテクニカル指標は割安シグナルの点灯を続けながら、株価は下がり続ける事になりました。

10月の歴史的な株価大暴落

下図は、リーマン・ブラザーズ破綻の翌月である2008年10月を中心とした株価推移です。

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2008年10月は多くの歴史的大暴落が起こりました。金融危機は、リーマン・ブラザーズのような投資銀行の破綻直後ではなく、少々時間差をおいてから世界の株価を押し下げる傾向があるようです。

以下の下落率ランキングは、2019年3月時点のものです。

10月8日(水)

日経平均株価は1万円を下回る9,203.32円で引けました。前日比952.58円安(-9.38%)です。この下落率は日経平均株価の歴代7位です。

10月10日(金)

日経平均株価は8,276.43円で引けました。前日比881.06円安(-9.62%)です。歴代5位の下落率です。

10月16日(木)

日経平均株価は8,458.45円で引けました。前日比1,089.02円安(-11.40%)で、歴代2位の下落率です。ブラックマンデー(1987年)に続く大暴落となりました。

前日の米国株大幅下落(ダウ平均733ドル安)を受け、先物主導の売りが集まりました。結果として裁定取引により、現物の主力株が売りを浴びました。この日、東証1部の175銘柄がストップ安をつけ、その内50銘柄が日経平均株価採用銘柄でした。なお、33業種全てが下げました。

10月24日(金)

日経平均株価は7,649.08円で引けました。前日比811.9円安(-9.60%)で、歴代6位の下落率です。

参考:10月28日(火)の最安値

この日、日経平均株価は、場中に7,000円を割り、最安値6,994.9円を付けました。

この値は2008年の高値15,156.66円と比べ8,161.76円安(-53.85%)で、株価は半値以下の水準に下落した事になりました。リーマン・ショックは、資産運用を行う場合には株価が半減する可能性を十分視野に入れ、慎重な運用を行うべきだという教訓を残りました。

その後、日経平均株価は一旦回復方向へ進みました。10月28日(火)につけた6,994.9円という値は、2008年最安値のみならず、平成バブル後の最安値になっています。以降の相場でこの値(バブル後最安値)は、支持線として強く意識されています。

リーマン・ショック後

株価は一時的に回復・日銀利下げ

2008年10月28日(火)に最安値を付けて以降、日経平均株価一時的に回復方向へ向かい反騰しました。また2008年12月19日(金)に、日銀は政策金利である無担保コールレート(オーバーナイト物)の誘導目標を0.2%引き下げ、0.1%とする事を発表しました。利下げは、公表後直ちに実施されました。

株価は再び下落基調へ

利下げを受けて2009年1月は株高で始まるも、再び下落基調となりました。円高進行と輸出企業の業績悪化により、株は売られ続け、2009年3月までの下降トレンドを形成しました。

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そして2009年3月10日(火)には、終値で7,054.98円をつけました。この値は終値ベースで平成バブル後の最安値として記録されました。(日中の最安値は前述の2008年10月28日(火)につけた6,994.9円です。)

リーマン・ショックで株安になった業種

リーマン・ショックでは、銀行業・保険業・不動産業・その他金融等の、景気敏感な業種として知られる株は(当然ですが)大きく売られました。一方で意外なことに「ディフェンシブな業種」として知られる株も、比較的大きく売られました。

例えば医薬品は、海外売上比率が高いため円高の影響から売られました。小売業食料品株も、代替で安い商品が買われた事による売上減から売られました。パルプ・紙も、DMや業務用段ボールの売上が減った事で売られました。

そして結局、全ての業種の株が下げました

業種別の下落率の詳細を下記の記事にまとめました。記事ではリーマン・ブラザーズの破綻直前を起点として、日経平均株価の日中最安値をつけた2008年10月28日(火)、および終値で最安値をつけた2009年3月10日(火)にかけての値動きを比較、集計しました。

その後、徐々に回復へ

3月10日(火)以降、日本経済と日経平均株価は、徐々に回復していきました。ただし、2010年欧州ソブリン危機や、2011年東日本大震災といった、株式市場にとってマイナスのイベントも多く、決して一本調子の順調な回復ではありませんでした。

さらにその後、2013年以降になってから日経平均株価は本格的に回復しました。その頃からアベノミクスによる好況となり、日経平均株価は2万円台まで買われていきました。

株安要因

リーマン・ショックでの株価大暴落には、証券市場から実体経済への影響、円高進行と企業業績悪化、テクニカル指標の性質等、多くの要因がありました。

証券市場から実体経済への悪影響

リーマン・ショックの発端である米国のサブプライムローン危機は、日本では最初は対岸の火事でした。ところがこの危機が深刻化するにつれ世界各国の金融機関の収益は悪化し、金融機関は融資に慎重になりました。結果として経済にお金が回らなくなり、世界経済は悪化の一途を辿りました。

金融危機が実体経済へ大きな悪影響を与えたわけです。

リーマン・ショックに限らず、一般的な金融危機では

  • 不良債権が増える
  • 金融機関の収益が悪化する
  • 貸し渋り・貸し剥がしが横行し、経済へお金が回らなくなる
  • 景気が悪化する
  • 株式含む証券価格が下落する
  • 不良債権が増える

という、負の循環に陥る傾向があります。

円高進行と企業業績の悪化

リーマン・ショックでは急激な円高が進行し、輸出企業の業績を悪化させました。

リーマン・ブラザースが破綻した2008年9月15日(月)に、米ドル/円為替は1ドル104.65円でした。その後、為替は円高の進行が止まらず、2008年12月17日(水)には87.13円をつけました。わずか3ヶ月の間に、17.52円(16.74%)もの円高になったと計算できます。

日本は当時、既に世界的にみて低金利の状態でした。そのため利下げ余地が少なく、利下げによる通貨安のリスクが相対的に低かったために、世界各国の投資マネーが日本円を買い集めました。その他にも、円キャリートレードの巻き返し(逆流)や、貿易黒字、相対的に健全な金融システム等、当時日本円が買われる理由は多岐にわたりました。

結果として急激な円高が進行し、輸出企業の業績を悪化させ、国内の景気に大きな悪影響を与えました。

テクニカル指標要因

株価下落に歯止めがかからなかった要因の1つにテクニカル指標要因があります。

いざなみ景気の反動による「下値支持線なし」

リーマン・ショックより前は、いざなみ景気と呼ばれる長期の景気拡大期でした。いざなみ景気は2002年2月から2008年2月にかけての、73か月の長期間にわたる景気拡大期です。この期間、一本調子で株価が上昇しましたので、チャートは下値目処となりそうな明確な下値支持線を形成しませんでした。

その結果、リーマンブラザーズ破綻後の株価は留まる所を知らぬまま下落を続け、多くの投資家の狼狽売りを誘いました。なお、当時、金融ビッグバン以降に初めて流行したネット証券を利用する新参投資家が多くいましたが、数年振りの安値・バブル後最安値の更新という連日のニュースの見出しは、彼らの落ち着いた投資行動の障害となりました。

「山高ければ谷深し」という投資格言の通り、長期の景気拡大期の後は下値支持線が無くなるため、景気減速局面が訪れれば長期の停滞に繋がります。

売り仕掛けが成功しやすい土壌

連日の株価下落は、売り仕掛けが成功しやすい土壌を作りました。

通常ですと相場には逆張り型と呼ばれる、株価下落で買いを入れる投資家がいます。ところがリーマン・ショックのように株価が下がり続けた場合、逆張り型の投資家は損失が拡大し、追加投資のための資金の枯渇問題を抱えます。そして押し目買いを入れる余力を失います。ともすれば手仕舞い売りを始め、売り手側に回ります。

逆張り型の投資家が凍死家に変わり、投資行動を起こせなくなる頃には、株式市場に売り仕掛けが成功しやすい土壌が準備されました。結果として、ヘッジファンドを中心とする先物による売り仕掛けは、多くの投資家の現物株の狼狽売りを巻き込み、更なる株価下落を招きました。

まとめ

リーマン・ショックは、2008年に発生した世界的な金融危機です。

2008年9月15日(月)に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻し、同社の社債や投資信託の価値毀損は金融危機を招き、世界各国の株安・債券安が進行しました。

日本も例外ではなく、円高と企業業績の悪化等により日経平均株価は下落を続けました。そして2008年10月28日(火)には最安値6,994.9円をつけ、平成バブル後の最安値を更新しました。この安値は2008年の高値15,156.66円と比べ8,161.76円安(-53.85%)に相当します。このようにリーマン・ショックでは、株価は半値以下まで売り込まれた形になりました。

最安値をつけた2008年10月28日(火)以降に、日経平均株価は一旦は回復に向かいましたが、勢いはなく再び下落しました。下落は続き、2009年3月10日(火)には終値7,054.98円をつけました。

その後、金融危機は収束に向かいました。2010年欧州ソブリン危機や、2011年東日本大震災を経て、株価は本格回復に向かいました。そして2013年のアベノミクス相場の好況において株価は2万円台の大台を突破するに至りました。

湾岸戦争(1991年)前後の日経平均株価チャート


湾岸戦争(1991年)前後の日経平均株価チャートを作成しました。湾岸戦争は、1991年1月17日のイラクへの空爆から始まり、2月28日に終わった戦争です。湾岸戦争の期間に、日経平均株価は2,962円(12.63%)上昇しました。

イラクへの空爆が開始された1991年1月17日の、翌日の日経平均株価は、前日比+361円(+1.53%)の23,808円で引けました。その後も日経平均株価は好調に推移し、戦闘が終結した2月28日には26,409円で引けました。終値比較では、1月17日から2月28日までに、日経平均株価は2,962円(12.63%)上昇しました。

湾岸戦争の時期は平成バブル景気(第11循環拡張期:1986年11月~1991年2月)の終盤であったにもかかわらず、日経平均株価は上昇した事になります。イラク戦争の戦費は日本も130億ドル負担しましたが※1、これは日本の企業が負担するわけではありませんので、個別銘柄には悪材料出尽くしの買いが入ったと考えられます。朝鮮特需(1950年~1952年)にも似た需要増があった可能性もあります。

※1 出典要確認情報 http://www.asahi.com/business/update/1012/TKY201110120697.html にて2011年10月13日に閲覧・取得された情報をWikipediaから引用しました。

東日本大震災(2011年)前後の日経平均株価チャート


東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した大規模地震災害です。

この震災前後の日経平均株価チャートを作成しました。地震をはじめとする大規模災害は株価下落要因です。震災後に日経平均株価は急落し、震災前の3月10日と比べ、3営業日で2,361.87円安(22.3%安)になりました。

東日本大震災

東日本大震災は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震と、それに起因する津波被害、福島第一原子力発電所のメルトダウンによる放射能汚染等を総称する大規模災害です。

地震

地震は2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生しました。

この地震を東北地方太平洋沖地震と呼びます。東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0、最大震度7(宮城県栗原市)を記録し、観測史上最大の地震になりました。東北地方太平洋沖地震は、以下に記すとおり、さまざまな災害を招きました。

津波

太平洋海底で発生した地震は、海水を押し上げる事で津波を引き起こしました。

津波は波高10mを超え、最大遡上高40.1mを記録する巨大津波となりました。震災による死者の90%以上は、この津波による水死です。

原発事故

津波は原発事故を招きました。

津波は東京電力福島第一原子力発電所を水没させました。その結果、電源喪失によりコントロールを失った原子力発電所はメルトダウンし、きのこ雲の発生を伴う大爆発をしました。放射能汚染は広範囲におよびました。

被害

2018年3月9日時点での警視庁の発表によれば、死者は18,434人、重軽傷者は6,156人、警察に届出があった行方不明者は2,539人とされます。

日本政府は震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円としています。この値は、原発関係の被害を除いた数値です。

東日本大震災(wikipedia)

日経平均株価チャート

震災の当日・翌日以降

下図は東日本大震災前後の日経平均株価の推移です。

震災の5営業日前の2011年3月4日から25営業日後の2011年4月18日までをプロットしています。

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データは株価データ倉庫から取得しました。

震災当日

震災当日の2011年3月11日は、日経平均株価は10,298.64円で始まり、高値10,378.55を付けています。

その後2時46分の地震を受け売り優勢となり株価は下落、10,254.43円の安値引けとなりました。前日比179.95円安(-1.72%)です。

震災翌営業日

土日を挟み、地震と津波の被害が明らかになってきました。

これを受け、翌営業日の2011年3月14日(月)は、前日比で210.26円安の水準である10,044.17円から始まりました。その後福島第一原子力発電所の3号機がキノコ雲の発生を伴う大爆発をした事を受け、日経平均株価は下げ幅を拡大し、9,620.49円で引けました。前日比633.94円安(-6.18%)の暴落をしました。

震災翌翌営業日

更に翌3月15日(火)には4号機が爆発・炎上し、放射能汚染が広範囲に拡大しました。この日に東京都新宿区でも放射性物質の飛来が観測されました。これを受け日経平均株価は下げ幅を拡大し、安値8,227.63円をつけています。

この安値は、震災前3月10日終値と比べ、2,361.87円安(22.3%安)に相当します。わずか3営業日で日経平均株価はここまでの急落をしたわけです。地震をはじめとする大規模災害は株価下落要因です。

震災前後の主要経済イベント

下図は、広い時間軸での東日本大震災前後の日経平均株価の推移です。

75営業日前の2010年11月17日から、200営業日後の2012年1月4日までをプロットしています。

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震災前:2010年欧州ソブリン危機

東日本大震災の前の日経平均株価は堅調でした。

2010年欧州ソブリン危機は、危機状態を脱しつつあり、世界経済は回復基調となっていました。上記のチャートでも、震災直前の株価は上昇基調であった事が分かります。

震災後:米国債ショック

震災後の日本株の株価下落に、米国債ショックが追い打ちをかけました。

2011年8月5日にS&Pが米国債の格付けをAAAからAA+に格下げしました。これによりソブリン債の信頼性が揺らぎ、金融不安から世界各国の株価指数は下落しました。これを米国債ショック(2011年)と呼びます。

震災と株価・経済

産業のサプライチェーンの分断と景気の悪化

東日本大震災は産業のサプライチェーンを分断し、日本経済に大きな悪影響を与えました。東北地方でしか作成されていなかった部品の供給が滞り、自動車メーカーを中心とする複雑な製品を作成する製造業者は生産能力を失い、業績を悪化させました。

複雑な製品の中には、東北地方でしか作成されず、代替が効かない部品が含まれる可能性が高かったからです。もちろんメーカー側は事前にリスク分散に気を遣っていました。ところが、3次下請け、4次下請けなどの下流において、共通部品の利用によるリスク分散が効果を失っていた事が発覚しました。

震災の影響は広範囲かつ長期におよびました。その結果、震災前までの景気の回復基調と明るい経済展望は一転してしまいました。そして、日経平均株価は震災前日の10,500円には届かなくなります。

震災で上がった株

上記の通り多くの日本株は業績悪化が折り込まれ、株価が下がりました。その中で逆に暴騰した株もあります。

まず、多くの建設株は株価が上がりました。復興需要から業績向上が期待されたためです。銘柄によっては値がつかず、代わりに建設株ETFが、基準価額から上方乖離しながら、高値で買われる事態も起こりました。

東日本大震災の直後に、特に株価の上昇が大きかった銘柄のチャートを下記の記事にまとめました。

典型的な震災関連銘柄は、下記のリンクが詳しいです。

更に東日本大震災では原発に代わる発電の需要から、風力発電を中心とする新エネルギーに関わるテーマ株も上昇しました。

このように、東日本大震災後は建設株と代替エネルギー関連株の上昇が目立ちましたが、その他にも物資の需要増から多くの小売株のファンダメンタルズが向上しました。そしてこれらの小売株は地味に、長期的に値を上げました。

日経平均株価は上値抵抗線を形成

震災前終値である日経平均株価10,434.38円は、テクニカル分析における抵抗線になりました。震災以降、日経平均株価は何度かこの値を超える事を目指し、跳ね返されました。

具体的に、日経平均株価は2011年5月2日に10,004.20円、7月8日に10,137.73円、7月22日に10,132.11円、2012年3月27日に10,255.15円をつけていますが、いずれもこの抵抗線を超えるには到りませんでした。

このように日経平均株価は低迷を続け、結局日経平均株価が震災前終値を超えるのはアベノミクスバブル相場が始まった後、2013年1月4日の10,688.11円をつけるまで待つことになりました。

オプションの暴騰

日経平均株価の急激な値動きは、オプション市場において、プットオプション価格を数百倍へと暴騰させました。その結果、オプションの売り手の中から破産する者が続出しました。

また、証券会社も破産者の対応に追われる事になりました。例えば松井証券では、顧客の決済損に対する不足金が35億円発生しました。これは主に、オプションの売建によるものでした。

為替への影響

震災後、為替は乱高下しました。

震災前日の3月10日、1ドル82.97円でしたが、有事の円買いにより円高が進行しました。わずか1週間後の3月17日には、1ドル76.24円まで円高・ドル安が進みました。この短期間に6.73円(8.1%)という大きな変動幅で円高が進んだ計算になります。

ところがその後、日銀の為替介入を始めとした円売り・円売りの思惑が優位となり、円安が進行しました。そして2011年4月6日には1ドル85.52円を記録しました。これは、3月17日の値と比較すれば、実に9.28円(12.2%)もの下落(円安)です。

世界の株価への影響

震災の影響は世界の経済活動の停滞をも意識させ、世界の株価へ少なからず悪影響を与えました。例えばダウ平均株価は震災後下落し、3月16日には11,555.48ドルをつけました。これは震災前と比べ、-3.6%の水準になります。

まとめ

東日本大震災は、地震・津波・放射能汚染により、製造業を中心に日本経済に大きな打撃を与えました。震災後に日経平均株価は急落し、震災前と比べ、3営業日で2,361.87円安(22.3%安)になりました。

その後日本経済は低迷を続け、震災前の日経平均株価終値10,434.38円は抵抗線になりました。この抵抗線は、2013年1月4日になり初めて突破されました。

パウエル・ショック前後の日経平均株価チャート


2018年2月6日(火)、前日のダウ平均株価の暴落を受けて日経平均株価は急落、前日比-1071.84円安の21,610.24円で引けました。この急落局面は、前日(2月5日)に米連邦準備制度理事会(FRB)の就任宣誓式を行ったパウエル新議長にちなんでパウエル・ショックと呼ばれます。この前後の日経平均株価チャートを投稿します。

パウエル・ショックの時系列

2月6日(火)に日経平均株価が暴落する前に、米国を舞台として、好調な雇用統計を発端とした金利急騰・株安騒動がありました。

雇用統計が利上げを示唆

2018年2月3日(金)に米国雇用統計が発表されました。予想よりも良い数値であったため、利上げのペースが上がる事が連想され、米国債の金利が急上昇しました。株式よりも債券への投資妙味が増し、株が売られ、ダウ平均株価は前日比665.75ドル安となりました。

1月の米雇用統計は非農業部門の就業者数が前月比20万人増と、市場予想の18万人増を上回った。賃金は前年比で2009年6月以来の大幅な伸びとなり、米連邦準備理事会(FRB)が年内の利上げペースを加速させる可能性があることが意識された。

これを受け、米10年債利回りは2.8450%と、2014年1月以来の高水準をつけ、株式よりも米債への投資妙味が高まった。

出典:ダウ666ドル安、約9年ぶりの大幅な下げ幅 米債利回り急上昇で

パウエルFRB新議長の就任宣誓式と株価暴落

週が明け、2月5日(月)にパウエルFRB新議長の就任宣誓式が行われました。目新しい内容は無く、年4回の利上げが視野に入り米国債の利回りは更に上昇しました。これを受けて米国株は利益確定売り・手仕舞い売りを巻き込み暴落、ダウ平均株価の終値は前週末比1,175.21ドル安の24,345.75ドルになりました。

米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル新議長が就任宣誓式を行った5日、ニューヨーク株式市場が過去最大の下げ幅を記録した。株価急落はFRBの利上げが加速することへの警戒が誘因になっており、3月の追加利上げを予想する見方が市場で強まる中、パウエル氏には、議長に求められる「市場との対話」の資質が早々に問われる多難な船出となりそうだ。

 パウエル氏は5日、「金融政策を通じて経済成長の維持と健全な雇用市場、物価安定を支える」との声明を発表した。内容に新味はないが、前週末2日から週明け5日に続く株価急落は、従来3回と想定された年内利上げ回数が4回に増える可能性を市場が視野に入れ始めた中で起きた。

出典:パウエルFRB新議長、多難な船出 「市場との対話」早々に試練

ダウ平均は朝方から大幅に下げて始まった。米長期金利の指標である10年物国債利回りが5日未明に一時2.88%と前週末から水準を切り上げた。金利上昇で企業の資金調達コストが増すうえ、個人消費も抑制し米景気の足かせになるとの警戒感が広がった。投資家が運用リスクを回避する姿勢を急速に強めた。

出典:米国株、急落 ダウ1175ドル安で史上最大の下げ幅、調整局面入りとの見方

日経平均株価チャート


それまで好調に推移していた日経平均株価でしたが、2018年2月6日(火)、前日のダウ平均株価の暴落を受けて始値から安く始まりました。株価の下落は上昇相場に慣れていた投資家の狼狽売りを誘い、場中にも下げ幅を拡大し、この日は前日比-1071.84円安の21,610.24円で引けました。

その後も株価回復には至りませんでした。急落局面が株価のボラティリティを跳ね上げた結果、金融工学的に株式投資のリスクの側面が強調され、保有株の圧縮のための株売りが起こりました。特にリスクパリティ法による運用者は株売りに傾きました。これらの株売りは、株価の回復の妨げとなりました。

セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャート


2013年5月23日の株価大暴落は、セルインメイと呼ばれます。その前後の日経平均株価チャートを作成しました。

セルインメイ(2013年)とは?

概要

2013年5月23日に、明確な理由なく国内市場の株価が暴落しました。

当時アベノミクスの景気刺激策により株価は高値圏にありました。そこへ短期筋の国債先物と日経平均先物への同時売り仕掛けがありました。それを引き金に、アルゴリズムの暴走と個人投資家の狼狽売りが始まりました。

そして売りが売りを呼ぶ形で、株価は暴落しました。この出来事はセルインメイ(2013年)と呼ばれます。

別名

別名①:矢口ヤリーマンショック

セルインメイは、当時あまりに明確な原因が無かったため、当時話題となっていたタレント矢口真里の不倫騒動に関連して、矢口ヤリーマンショックと呼ばれる事があります。

矢口ヤリーマンショックは、「株やってる人たちの流行語大賞2013」にノミネートされました。

別名②:バーナンキ・ショック

現在ではこの暴落は、バーナンキFRB議長(当時)が量的緩和の縮小を示唆する発言があった事が原因であったと後講釈され、バーナンキ・ショックとも呼ばれます。

バーナンキ・ショックは、2013年5-6月に発生した、アメリカ合衆国の連邦準備制度理事会(FRB)の第14代議長を務めたベン・バーナンキの発言を引き金とした世界的な金融市場の混乱(動揺)をいいます。これは、2013年5月22日に、当時のバーナンキFRB議長が、今後幾度かの会合を経て、債券の購入ペースを徐々に減速することで量的緩和を縮小する可能性を示唆し、さらに2013年6月19日には、FRBが今年中に債券の購入金額を減額し、2014年半ばに完全に終了する可能性があるという一段の踏み込んだ発言をしたことにより、世界的な流動性懸念が生じ、新興国の通貨や株式などから資金が流出し、市場に大きな動揺をもたらしました。

出典:バーナンキ・ショック(iFinance)

日経平均株価チャート

下図は、セルインメイ(2013年)前後の日経平均株価チャートです。

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元データは株価データ倉庫から取得しました。

セルインメイ前

セルインメイの前は、アベノミクスによる多くの景気刺激策が発表され、株価は一本調子に上昇していました。

値固めの少ない一本調子の株価上昇では、テクニカル指標における明確な支持線が形成されません。そのため、売り仕掛けが成功しやすい相場の地合いとなっていました。

セルインメイ当日

セルインメイ当日の2013年5月23日の日経平均株価は、前日比プラス圏でリーマンショック後最高値の15,739.98円で順調に始まりました。更に場中には前日比+315.34円(+2.02%)に相当する高値15,942.6円をつける局面もありました。

ところが途中から売り仕掛けが入り、パニック売りに発展し株価は暴落しました。結局この日、終値(かつ安値)が14,483.98円の安値引けになりました。この株価水準は前日比で1,143.28円安(-7.32%)に相当する大暴落です。

セルインメイ後

短期的な調整局面へ

セルインメイはそれまでの上昇トレンドを反転させました。セルインメイを境として、以降株価は下落を続け、6月13日には12,415.85円をつけるに到りました。

長期的な上昇トレンドは崩れず

セルインメイの後、好調な世界景気を背景として、株価は回復しました。つまり、結果的に長期的な上昇トレンドは崩れませんでした。

下図はセルインメイ前後の日経平均株価の長期チャートです。2013年7月18日にはセルインメイを発端とする調整局面のおよそ半値戻しに相当する高値14,827.73円をつけました。更に2013年12月24日には、セルインメイの当日の高値を超える16,029.65円をつける局面もあり、全値戻しを達成しました。

関連・その他

本来のSell in May

近年では5月に起きた大暴落をセルインメイと呼ぶ事が増えました。ですが、本来「セルインメイ」は異なる意味の投資格言です。

元の格言は「Sell in May and Go Away But Remember to Come Back in September. (5月に売って相場から離れよ。けれど9月に戻ってくる事を忘れるな。)」です。

5月から9月にかけての株価は低迷しやすいというアノマリーのため、5月に売ると良いと言われているのです。

売りが売りを呼んだ暴落

明確な理由なく売りが売りを呼んだ事が原因で暴落した相場は、セルインメイの他にブラックマンデー(1987年)や、ITバブルのフィナーレ暴落(2000年)が有名です。

ブラックマンデーでの暴落は、平成バブル景気の最高値に向かう過程での値固めとなり、絶好の押し目となりました。一方でITバブルのフィナーレ暴落では株価は元の水準には戻らず下落を続け、株価は2003年4月のITバブル崩壊の底値へと下がり続けました。

平成バブル景気(1986年12月~1991年2月)前後の日経平均株価チャート


平成バブル景気(1986年12月~1991年2月)前後の日経平均株価チャートを作成しました。

平成バブル景気とは?

1986年12月から1991年2月にかけてのバブル景気を、平成バブル景気と呼びます。

平成バブル景気の発生と崩壊

平成バブル景気の始まる前、プラザ合意(1985年9月22日)によって円高が進行していました。円高は輸入品の値段を引き下げ、物価が安くなっていました。また円高は輸出産業の苦戦も招きました。この不況は円高不況と呼ばれています。円高不況の対応のために日本銀行は緩和政策を続け、利上げや景気引き締めが遅れました。

日本銀行の不必要な緩和政策が続けられた結果、そこで余ったお金が株と不動産に向かい、空前のバブル景気が起こりました。株や不動産の価値が高騰を続け、「必ず上がる」という神話が囁かれていました。

平成バブル景気で日経平均株価は史上最高値38,957.44円(1989年12月29日)をつけました。その後神話と株価は崩壊し、日本経済は長い低迷期に入りました。

景気循環と平成バブル景気

平成バブル景気の前後の景気循環を下表にまとめます。円高不況の対応のため、日銀が緩和政策を継続した事が平成バブル景気を招き、そしてこのバブルの崩壊は第一次平成不況を招きました。

時期 名前 景気循環 備考
1985年7月~1986年11月 円高不況 第10循環(後退期) プラザ合意をきっかけとした円高による不況
1986年12月~1991年2月 平成バブル景気 第11循環(拡張期) 空前のバブル景気
1991年3月~1993年10月 第一次平成不況 第11循環(後退期) バブル崩壊後の失われた30年の始まり
景気基準日付(内閣府)

平成バブル景気前後の日経平均株価チャート

平成バブル景気前後の日経平均株価チャートを以下に示します。チャートは日足で終値ベースです。株価データ倉庫から元データを取得し、加工した上で投稿しました。

日経平均株価2万円→2万5000円

平成バブル景気の始まりとされる1986年12月1日、日経平均株価は18,339円で始まりました。その後、日経平均株価の終値は1987年1月30日に初めて20,000円を突破した20,048円をつけました。1987年6月3日には25,000円を突破した終値25,049円をつけました。

日経平均株価は2万円から2万5000円になるまで、わずか4カ月と数日の短時間であったわけです。

ブラックマンデーの暴落と3万円到達

この株価高騰の後、ブラックマンデーによる一時的な暴落(1987年10月20日)がありました。ブラックマンデーでは日経平均株価は前日比で3,837円安(-14.9% )となり、歴史に残る暴落となりました。ところが株価はその後、再び上昇基調になりました。更に、ブラックマンデー前の水準を回復した後は、少々の下げでは押し目買いが入るようになりました。

そして株価の上昇基調は続き、1988年12月7日には30,000円を突破した終値30,051円をつけました。

3万円5千円到達と史上最高値

日経平均株価は1989年8月16に35,000円を超え、終値35,084円を付けました。その後1989年12月29日に史上最高値38,957.44円をつけるに至りました。

日経平均株価は20,000円を突破した1987年1月30日から、3年も経たない内にほぼ2倍にまで高騰した事になります。このように、短期間かつ勢いのある株価高騰はバブル景気の特徴です。

ITバブルのフィナーレ暴落(2000年) 当時の日経平均株価チャート


インターネット関連企業が注目され、株価が高騰したITバブル(インターネットバブル)は、2000年に崩壊を始めました。特に2000年4月17日(月)の日経平均株価は前日比6.98%安の暴落となり、この日の暴落は「ITバブルのフィナーレ暴落」と呼ばれています。

その当時の日経平均株価のチャートを作成しました。

2000年4月17日前後の日経平均株価チャート

2000年4月17日(月)は、ITバブルのフィナーレと言える暴落です。下図は、4月17日(月)前後の日経平均株価チャートです。

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チャート作成の元データは株価データ倉庫から取得しました。

暴落の3営業日前がITバブル最高値

フィナーレ暴落の3営業日前が日経平均株価のピークでした。

2000年4月12日に日経平均株価は終値(かつ高値)20,833.21円をつけました。この20,833.21円という値は、ITバブルでの日経平均株価の最高値となりました。

NYダウの急落を受け、売りが売りを呼び暴落

フィナーレ暴落前日のNYダウの急落(617.78ドル安)を受け、2000年4月17日の日経平均株価は寄り付きから崩れました。前日比で1,426.04円安(6.98%安)の暴落となりました。

上記チャートの通り、暴落前は順調な上昇局面でしたが、この日を境に株価は下落トレンドに入りました。

詳細は下記のリンク先が詳しいです。

相場急落の恐れがあるとき(平均株価研究会)

この暴落は、高値圏での売り仕掛けの成功と言える暴落でした。売りが売りを呼んだタイプの暴落と言えそうです。

日経平均構成銘柄の大幅変更の寄与

なお、日経平均株価の構成銘柄大幅変更(30銘柄入れ替え)が4月15日(土)に発表され、4月24日に実施されています。入れ替えを受け、指数から除外される銘柄に売りが集中した事は、日経平均株価下落要因と言えます。

日経平均株価チャート②(長期チャート)

下図は前述のチャートよりも長期のチャートです。順調に上昇し、4月17日に突如暴落し、下落トレンドに入った様子がうかがえます。

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2000年をピークにインターネット・バブルは崩壊しました。その後も日経平均株価は下落を続け、半値以下の水準まで売り込まれました。そしてソニーショック翌営業日である2003年4月28日に、日経平均株価は1982年以来の最安値7603.76円をつけるに到りました。

関連・余談

ダウ平均株価の急落の理由

日経平均株価の暴落の発端となった4月14日(金)のダウ平均株価の暴落には、明確なネガティブ・サプライズがありませんでした。強いて言えば、消費者物価指数(CPI)が良く、利上げの警戒売りと利益確定の売りが売りを呼び暴落となったと説明されます。

14日に発表された米国の消費者物価指数(CPI)が市場予想を上回ったことで、米連邦準備制度理事会(FRB)が今後行うとみられる利上げの幅が拡大すると警戒されたことから、同日のニューヨーク株式市場は大荒れ。ダウ平均株価は617.78米ドル、ナスダックは355.49ポイントと、それぞれ過去最大の下げ幅で取引を終えた。

出典:週明けの香港株式、NY暴落ショックで大幅安か(アジア経済ニュース 2000/04/17(月))

ITバブル崩壊後のNASDAQ指数

ITバブル崩壊で日経平均株価は大きく下げましたが、米国のNASDAQ総合指数は更に大きく下げました。

インターネット・バブルの最盛期である2000年3月10日、NASDAQ総合指数は5,132.52ポイントをつけました。その後バブルの崩壊と共に指数は下がり続け、2002年10月10日に1,108.49ポイントをつけるまで下落しました。78%以上の下落に相当します。